言う(湯)ばかりになってはいけないのです

言う(湯)ばっかり

むか~し、昔、僕が学生だったころ、
試験があるたびに結果が芳しくなくよく母親に叱られていました。

そしてその都度、
今度はこれだけ勉強をやるから大丈夫。
月曜日はこれを何時間やって、
その次にこれを何時間。
火曜日はコレとコレを何時間づつ。などなど。

そして試験の終わった跡には、
立派な計画表がいつもできていたもんです。

しかし次の試験の後にはやはり同じ結果をたどり、
母親の小言をもらう羽目に。

「お前は蓋のない湯船と同じだよ」

「それどう言う意味?」

「言う(湯)ばっかり」

あれこれ立派な言葉や計画で、誰かを騙すことができるかもしれないけれど、母親と自分は騙すことはできないものです。

一番大切なのは結果がどうだったか?
過程で何をどうやっていたか?
それは次の結果にどうつながるか?
などの実際の行動となんですよね。

立派な計画や理想はいらない。
必要なのは何をするのか決めたらそれをどう進めていくのか行動すること。

ただそれだけなんだと。
できなかった僕が突っ込まれることを重々承知で、外の喧騒を聞きながらそう思う今日この頃です。

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この記事を書いた人

無理せず楽しく、手作りの小さな暮らしを大切に。
アラカンの「つづく生活」実践者です。
半自給自足を目指しながら、仕事・趣味・家のことをコツコツ楽しんでいます。
日々を淡々と綴ることで、人生を整えるヒントが見つかればと思っています。

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