独立したての頃、尊敬していた糸井重里氏の本をよく読んでいました。
その中に
「機嫌良く暮らす」
という言葉があってその時は何を当たり前のことを。と意味がよくわかりませんでしたが、今なら自分なりに解釈できるようになりました。それはきっと、人間の感情には力があって、機嫌のいい時が一番力を呼び込みやすく、幸せになれたり誰かに幸せを与えられたりできるよって事ではないかと。
もちろん糸井氏が言っていた本当の意味はこれとは違うかもしれませんが、あながち間違いでもないように思います。
機嫌がいい時が一番自分にも周りにもいい影響を与えられます。そうすると双方にとって良い影響の循環が生まれ、社会が良い方向に向かっていきやすいです。
しかし、人の世はいつも機嫌良く生きるのは難しいので、大人になると、ちょっとしたテクニックを使って嫌なことを回避します。それは「きっと相手も大変なんだろうな」と思ったり、嫌な気分になったら、その場から少し距離を置いてみたりするくらいのことです。こんなことですが、単純な私は意外と怒りの感情をコントロールできています。
自分が気持ちいい時が、自分にとって一番良いものを呼び込みやすいので、1日に1回は矯正的に気分がいい状態を作るといいそうです。
例えばコーヒーが好きだったら2〜3分でいいのでコーヒーの香りと味を楽しみながら、ゆったりとした時間を過ごす。
お風呂が好きだったら少しの時間で良いので、湯船に浸かって何にも考えずにゆっくりと過ごす。などすぐに出来そうなことで充分に効果があるそうです。
これなら忙しくてもほんの2〜3分全てを遮断して時間を取れるかもしれません。
そういう積み重ねが自分にとって願っているものや状態を呼び込んでくれる一番の近道なのだそうです。
別にスピリチュアルな話とか、引き寄せの法則とかの話ではありません。
普段私たちが反応する自然の感情を思い浮かべればわかることです。顰めっ面や怒っている人には誰も寄り付きませんが、笑顔が素敵な人やいつも楽しそうにしている人には、人が集まってくるように人の自然な感情や態度に起因するものです。
心配性で将来不安な人は、自分で気付かないうちに悪くなる選択をしているものだし、明るくて「なんとかなる」と楽天的な人は、なんとかなる選択をしているものです。
そんなことないっていう人もいると思うし、私自身、以前はそういう人間でした。勘繰って人を簡単に信用せず、いつも不安の中で生きてきました。
ですが、あることをきっかけにその心配が小さくなり、「まぁ、なんとかなるか!」と思えるようになりました。そのあることはざっくりいうと、人と比べることをやめたのです。
もちろん簡単に止めることは出来ません。
人生で中々起きないことを経験したからなのですが、比べても仕方がないという理屈がわかった今では、誰でもできることなのではと思っています。
人はそれぞれ違います。環境や身につけた学力、社会的地位、興味のあること、向き不向き等々。
それらを考えずに今の状態だけで比較しても何の意味もないし、ましてや本当に羨ましいと思っているその人の事など、何にも知りません。ならば比べるなんて意味がないし、比べたところでどちらが幸せかなんて無駄だということがわかったのです。
ならばどうすればいいか。
私の中の幸せに気がつけばいい。
その幸せを大事にすればいい。
そしてその幸せをくれるものを大切にして機嫌良くいればいいと気が付きました。
幸せはシンプルですぐ近くにあります。
人に親切にすれば親切が返ってきたり、気の合う人が集まってくるかもしれません。
人に意地悪をすれば、意地悪されたり誰も寄って来なくなるか意地悪な人が寄ってきます。
機嫌よくいれば人に優しくなれます。優しくすれば他の誰かから周り回って優しくされるかもしれません。別に優しくされなくっても、意地悪して後悔するよりずっとマシです。自分の中にある幸せを傷つけてしまうくらいなら、誰かに勝たずとも機嫌よくいた方が幸せに暮らせます。
そういう風に今日もこれからも暮らしていけたらと願う毎日です。