田植え機から考えるコミュニティの関係性

田植えにおける農村の人間関係

先日田植えのお手伝いに行ってきました。これまで10年畑で野菜を作ってきましたが、米作りは初めての経験でした。いつかは米を作ってみたいと思っていたところ、あるご縁で家族で食べる分を作っている農家さんの、お手伝いをさせていただくことになりました。
可能であれば大規模農家の米作りではなく、出来るだけ機械化されていないところで経験してみたかったので、ありがたいお話でした。

苗床で苗を育て蒔く前に薬を撒いたりして田んぼに運びます。苗床から田んぼまで少し距離があり、その上平地ではないため一苦労です。軽トラで行けるところまで運んで、今度は人力で田んぼまで運びます。

そして田植え機に苗をセットしてスタート。この田植え機の動きに感動してしまいました。苗床から1〜2本ずつ正確に摘んで、田んぼに苗を一定の深さに植えて行きます。どうしても角の方など田植え機で植えれない箇所は、人力で植え込んでいきます。これをはざ植えというそうです。

こうやって1枚終わると次の田んぼに田植え機を移動して田植えを行って行きます。この田んぼの場合は傾斜地に段々にあるため水はその上の溜池から水路を引いて取っていました。

そうやってみてみると農村部って山間部だと川沿いに集落や田んぼが形成され、平地も主に川や溜池から水路を引いてその周辺に集落及び田畑が作られていったのがわかります。今のように道路や鉄道を主体として、都市が形成されるのではないことがよくわかりました。

今回呼んでいただいた農家さんは、代々受け継いだ田んぼを守られているとのことでした。かつては米農家も多かった地域だと思われますが、農地転用が許可された後は、ほとんど住宅へと姿を変え、現在では米を作っているのは3軒を残すのみとなったそうです。今回お誘い頂いた農家さんも高齢で、作業が年々キツくなってきたとおっしゃっていました。

作業途中でお話をさせていただき昔のことをお聞きすると、機械化が進んで随分と作業は楽になったとおっしゃっていました。それこそ田植え機のなかった頃は、手で植えるしかなく、加勢人が何人いても足りることはなかったそうです。そのことから思ったことなんですが、機械の進歩が人間のコミュニティの形に及ぼす影響ってすごいなってことです。

昔だったら自分の持っている田んぼに稲を植えようと思うと、大体同じ時期に植えるからみんなで協力して順番に手伝いながら作業をしていったと思います。もし、わがままを言って嫌われてしまうと手伝ってもらえなくなるので、少々理不尽なことがあっても、我慢して関係性を崩さずに生きて行くしかなかったんじゃなかと。

でも、人の力より何倍も働く機械が導入されると1人でできることが物凄く増えます。別に人に頼らなくても機械がそれ以上のことをしてくれるので、自分の意見が言えるようになります。

空いた時間で土地もどんどん開墾していけば、さらに生産量を拡大することが期待でき、大きな影響力を持つことだってできそうです。

つまり生産性を爆上げする仕組みがあると、人間同士の関係がなくても個人や少人数で大きな成果が期待できるので、個性が発揮できるとも言えますし、ある程度の関係性を無視しても生きていけるということになります。

田植え機が苗を植える風景を見ながら、人間の関係が希薄になってきたと言われる現代において、その影響は少なからず機械の導入により、生産性が爆上げし人間同士の関係に頼らなくても生きていけるようになったからなんだと思いました。

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この記事を書いた人

パソコンとネットの何でも屋さん兼農家見習い中
2021年に奥さんに腎移植して人生の価値観が大きく変わりました
何が起きても諦めずに生き抜く力が一番大切
時々ブログも書いてます

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