ベトナム旅行記④(最終回)|市場での忘れられない出来事と、10年後に思うこと

ベトナムのバイクの写真集

2015年1月のベトナム旅行のメモをもとにした記録です。いよいよ最終盤、4日目と5日目をまとめてお届けします。

4日目——完全フリーの一日

今日は完全フリー。朝食後、ゆっくりめにベンタイン市場へ向かいました。市場の中は食料品、衣料品といったカテゴリーで区画が分かれています。

まず食料品売り場へ。入ってびっくりしました。日本のような冷蔵ケースはまったくなく、肉はそのまま置かれている。さすがに魚には氷が張ってありましたが、衛生的とは言い難い光景でした。

ベトナムの人はカエルをよく食べるようで、あちこちで売られていました。生きたままのカエルをおばさんが物憂げにハサミでチョキチョキやっているのには参りましたが、考えてみれば、日本に来た外国人観光客も鮮魚売り場で魚を捌く日本人を見たらグロいと思うのかもしれません。ところ変われば習慣も違う。当たり前のことですね。

ベトナムの街の風景

市場で「バカ」と言われた話

次は衣料品エリアへ。狭い通りの両脇に店が並び、女性たちから「買って、買って」と声をかけられます。

「いくら?」と聞くと、思った通り高い。値切ったあとに、つい「要らない!」と声高に言ってしまったのです。すると急に、

「バカ、バカ」の連呼。

しかもその店だけでなく、進む先々で「バカ」と言われ、両脇から小突かれる始末。たまらず小走りで市場を出ました。正直、ちょっとショックでした。買う気もないのに値切ってしまった自分も悪かったと思います。

今になって思えば、あのとき自分の中に、彼女たちをどこか下に見ている気持ちがあったのだと思います。もちろん反省していますし、今ではそんな気持ちは微塵もありません。でも、これはこのベトナム旅行で忘れられない経験になりました。


気を取り直して、冷房の効いたパン屋の2階で冷たいマンゴージュースを飲んで休憩。屋台街では奥さんがタピオカとタロイモ入りのココナツジュースを2,000ドン(約12円)で購入。安かったけれど、5,000ドン渡してお釣りをもらえなかったそうです。まあ、さっきのお詫びということで。

昼はニューランでバインミーなどを買い、ホテルで部屋食に。涼しいし、これが一番正解かもしれません。

夕方、ディナーの前に地元スーパーに立ち寄ってからHOANG YEN(ホアンイェン)という家庭料理のお店へ向かいました。HISのマップをホテルに忘れてしまい道に迷いましたが、おかげでダイヤモンドプラザ前のバイクだらけの通りをアイコンタクトで渡るという貴重な経験もできました。中央郵便局では、お土産の水牛の角でできた靴べらをうっかり落として折ってしまい、結局2本買うというアホな経験も。折れたことをお店の人に伝えたら接着剤でつけようとしてくれて、それはそれで面白かったです。

ベトナム
ベトナム
中央郵便局の中

ホアンイェンは中々の盛況で、観光客、特に日本人が多い印象でした。ただお店の人に日本語は通じなかったので、日本人観光客があまりお金を使わなくなっているんだろうなと感じました。最後の夜ということもあり、しこたま食べて飲んで楽しみました。

ちなみにこちらではビールを冷やして飲む習慣がないようで、注文するとぬるいビールが出てきます。冷たいのが飲みたいときは、氷をもらって氷入りで飲むのがスタンダードなのだとか。

食後、もうドンを使う事もないねってことで、少し残してドンを円に両替。その後スタバに寄ってコーヒー購入。
さすがにスタバは地元の人には高いようで、あきらかに観光客相手という印象でした。やっぱりどこに行ってもスタバは高いね。

これで4日目終了。

ベトナムビール
ベトナム料理

5日目——最終日

いよいよ最終日。最後の楽しみは朝食です。毎朝食べましたが、サイゴンホテルの朝食は本当に美味しかった。

うっかり朝食券を忘れて受付に伝えると手書きの券を渡され、それをウェイトレスに渡すとムッとされましたが、もう慣れました。国の印象ってこういう瞬間に残るものですが、日本はそういう部分がとても丁寧なんだろうなと思います。直接顔に出すか、心の中にしまうかの違いだけかもしれませんが。

部屋へ戻り出発の支度。記念にルームシューズ代わりの草履をもらって帰ろうとしたら、チェックアウト時に100,000ドン(約600円)請求されました。え、そんなにするの?でも、これも旅の思い出です。

恥ずかしついでにもうひとつ。空港への送迎バスで旅の思い出話に花を咲かせていたら、同乗の男性から「うるさい!」と怒鳴られました。私たち夫婦は「ごめんなさい」という気持ちになったのですが、一緒に行った関西のお兄ちゃんが黙っているわけもなく、嫌味たっぷりに独り言を言っていました。10人乗りほどの狭いバンの中でよく言うわとびっくり。いやはや、敵には回したくない人たちです。

そして空港でちょっとした出来事が。ベトナムの空港はパスポートがないと外国人以外は施設に入れないシステムのようで、さっき嫌味を言っていたお兄ちゃんが、日本人に見えなかったのか係員に「パスポートを見せろ」と言われていました。もちろん無事に入れましたが。

荷物を預けてチェックイン。X線検査は預けたあとに行うようで、日本とは仕組みが違いました。ベトナムの空港はそれほど大きくなく、免税店も飲食スペースもこぢんまりしていました。

それでも暇なので歩いていると、書籍コーナーで素敵なものを発見。ベトナムのいろいろなものを積んで走るバイクの写真集です。迷わず自分用に購入しました。この写真集、今でも超お気に入りです。もうひとつ「The Drop of Life」という授乳シーンを集めた写真集も良かったのですが、躊躇して買わなかった。あれは買えばよかった。心が躍るものに出会ったときは、迷わず買うべきですね。

帰国——そして日本へ

無事ベトナムを出国し、台湾の桃園国際空港で乗り継ぎ。ベトナム〜台湾の路線は日本人と台湾人、そしてロシア人らしき人が多い印象でした。当時、韓国人の姿は見かけませんでした。

桃園空港はハブ空港だけあって広く、免税店の数もすごい。台湾が本気でハブ空港を開発しているのがよくわかりました。

そして無事、福岡空港に到着。やっぱりホッとします。ただ、1日で32度のベトナムから9度の福岡への移動は、さすがに体がついていきませんでした。

これでベトナム旅行の話は終わりです。さて、次はどこへ行こうかな。

10年後の今、振り返って

この記事は2015年当時に感じたことをそのまま書きました。読み返すと、今とは少し違う気持ちの部分もありますが、当時の記録としてあえてそのままにしています。

そして改めて思うのは、この10年での日本とベトナムの関係の変化です。

当時はまだ技能実習生制度が今ほど広がっておらず、日本でベトナムの人を見かけることはほとんどありませんでした。むしろ日本人がベトナムへ観光に行く側で、しかもその数は少しずつ減ってきている時期でした。それが今では、たくさんのベトナムの方が技能実習生として日本に来て、私たちの暮らしを支えてくれています。

あの市場で「バカ」と言われた日、日本語を流暢に話すのに稼げないと語ったガイドさん、日本に行くのは夢だと言っていた人たち——あの頃の光景を思い出すと、当時からは想像もできなかった状況です。

国と国の関係も、人の流れも、こんなに変わるものなのですね。だからこそ、その時々に感じたことを書き残しておくことには意味があるのだと、改めて思います。

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この記事を書いた人

30代で独立、妻への腎移植、自身もIgA腎症に。トレラン大好きだった自営業者です。病気やお金の不安があっても生活は続く。夫婦で60代を迎えるにあたり、福岡で小さな畑を耕し半自給自足の丁寧な暮らしへ。「急がない。でも、やめない。」をモットーに好きなことをぼつぼつ。ブログと音声配信もやってます。

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