「婆子焼庵」とは何か?禅語が教える「人間らしさ」の本当の意味

杉本哲太と古田新太——「あまちゃん」コンビが共演するドラマ「隠蔽捜査」を観ていたら、とても興味深い禅語に出会いました。

「婆子焼庵(ばすしょうあん)」。

聞いたことはありましたか?ドラマの中で紹介されていた話はこういうものです。

《ある老婆が修行の僧に草庵(いおり)を建ててやり、仏道修行が成就するようにと何くれとなく面倒を見ていました。出家の僧を供養するのは信者のつとめでもあります。老女は若い女性に命じて僧の世話をしておりました。年月も経ちある日老婆は孫娘に「あの修行僧も相当修行も進んで力量も出来てきただろう。ここでひとつ、お坊さんのところにいって誘惑してみよ」と言いつけました。
いわれた通り娘は修行僧に抱きついて、懇ろな言葉をかけてみた。すると、僧は決然として女性をつきとばし「枯木寒厳に倚って、三冬暖気なし」と言い放ちました。つまり、その僧は「触るでない!女などに興味はないぞ。私は冬の巌にたつ枯れ木のように、私の心は少しも動かない」といい、娘の手を払いのけたというんです。
老婆は娘の話を聞いて、たいそう怒って、修行僧を庵から追い出してしまった。それだけでは足りず、老婆は草庵まで焼きはらってしまった》

最初に読んだとき、正直よくわかりませんでした。誘惑に負けなかったのだから、それでいいじゃないかと。ドラマの中で杉本哲太は「もっとジタバタすればよかったんだ」と言っていましたが、それでもどこかスッキリしない。

そのとき思い出したのが、漫画「美味しんぼ」の一場面です。

伝説のお茶の先生「へちかん」をもてなす場面で、主人公の山岡士郎は「へちかんは粗末なものの中にこそ本物の価値を見出す人だ」と考え、あえて高価でないものでもてなそうとします。一方、海原雄山はシンプルに、その季節の一番美味いものを用意しました。

士郎が「心が濁っている」と批判すると、へちかんはこう答えます。「仏にとって値段の高い低いは関係ない。美味いか、まずいかだけだ」と。

誰かを喜ばせたいなら、価格ではなく本当に美味いものを選ぶ。それだけのことだ、と。

この話と「婆子焼庵」が、頭の中で自然につながりました。

修行を積めば欲がなくなり、人間は神や仏に近づけると思いがちです。でも逆に言えば、喜びも悲しみも感じない存在に、人は心から縋ることができるでしょうか。老婆が怒ったのは、僧が誘惑に負けなかったからではなく、人間としての温度をどこかに置き忘れていたからではないかと思うのです。

どれだけ修行を積んでも、歳を重ねても、人間らしくあっていい。むしろ、人間らしさこそが人の心を動かすのかもしれません。

「婆子焼庵」——深く、面白い禅語です。

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この記事を書いた人

30代で独立、妻への腎移植、自身もIgA腎症に。トレラン大好きだった自営業者です。病気やお金の不安があっても生活は続く。夫婦で60代を迎えるにあたり、福岡で小さな畑を耕し半自給自足の丁寧な暮らしへ。「急がない。でも、やめない。」をモットーに好きなことをぼつぼつ。ブログと音声配信もやってます。

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  • 他のブログに解答を書いたので、重複を避けるため、そこのURLを記します。 → http://tamakihiroshi42.seesaa.net/article/396936735.html?reload=2014-07-14T13:39:21

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