苦労をすれば痛みがわかるってもんじゃないみたい

若い子には旅をさせろという言葉があります。
世間一般には苦労をさせろということだと思います。
しかし一体、どれくらい苦労すればいいのでしょう?

頭のいいやつはそんなに苦労しなくても分かる奴もいるでしょうし、
そうでもない奴はどれだけやってもやっかんだり、
そもそもなんにも感じなくって、
一向に人の気持ちになんかなれないかもしれない。

昔からある「苦労をさせる」という言葉には、
苦しいことを感じたら同じ気持で、
人の気持ちになれるようにという気持ちがあるのかもしれませんが、
なんかもう同じ教育を受けて、
みんな同じような考えで分かり合えるとか言う感じじゃないかもしれない。

これって個性的になったことかもしれないけど、
分かり合える部分が狭くなったということでもあるんですよね。

普通が難しくなったということでもあるのかな?
ちょっと生きにくいねぇ〜。
でも通じる「感覚」を大事にしたいと思うよ。

 

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この記事を書いた人

小さな生活をコンセプトにしているアラカンのおっさんです。
半自給自足を目指し仕事も趣味も楽しみながらつづく生活を送っている日々を綴っています。

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