どっこい生きる

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今朝見た番組で孤立した被災地域の話がありました。
地理的に孤立している地域ですので、食料などの必要物資の到着も遅かったようです。
その中にあっても流された冷蔵庫の中から、チョコレートや人参などの食料や調味料を見つけてきては力強く生き延びます。
その中にあってリーダー的な存在の方が、みんなで暮らせる仮設住宅の建設を行政の力を借りずに建設しようとします。
その姿を見ていて「責任」という重い言葉をしみじみと感じました。

リーダーの方はいいます。
「前向きに検討します。」「努力します。」なんて言葉はいらない。

「あんたたちも辛いのはよく分かる。」
だけど、
「いついつまでにどうやるって言ってくれ!」
「そうすればみんな我慢する。」と。

いったい地元の行政は、どっちを向いて仕事をやっているのでしょうか?
一行政人に責任がとれないことはみんなよく分かっていると思うんです。
ただ、誰のための責任かを考えれば何をすれば良いかは、おのずと分かると思うのですが。

結局、集落の方々は独自に仮設住宅を建設すべく動き出すところで終わるのですが、国や行政にしかできないお金や制度の問題はあるでしょうが、余りにも必要な物が届くスピードが民間と違いすぎて驚きました。

もっと早いスピードで必要なところに必要なものが届くように、しなくてはいけません。
それには何が必要なのでしょうか?
強いリーダーシップも大事かもしれませんが、その基礎となる物はやはり「責任」何だと思います。
それをこの番組を見ながら強く思いました。

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