がんばった甲斐があってもう少しで山を越しそうです。
協力していただける方々に感謝の一言です。
ありがたいことに来年のお仕事のお話もちらほらといただいています。
年内の仕事が終わっても「気を抜かぬようがんばらねば」と気が引き締まる思いです。
さて今日妻からテレビで見た話を聞きました。
ある病気を患った方とそのご家族の話なのですが、
その方は生まれたときから思い病気を持って生まれてきたのだそうです。
そして人生のほとんどを病院で過ごし、病気と闘って生きました。
しかし19歳を迎えたとき、
もう一切の治療は受けないことを決めます。
つまりそれは「死」を意味します。
「自分はもう今までさんざん病気と闘ってがんばってきた。だからもうがんばれと言わないでほしい」と、
自分の意思を伝え、家族との自宅での生活を選んだのだそうです。
今までしたことのない普通の暮らしや旅行を経験したのだそうです。
その後その人は死んでしまったのだそうです。
その話を聞いて「病気」や「死」に対してそれを患っている本人と、その家族の思いを考えさせられました。
家族からしたらまだ二十歳にも満たないわが子を死なせることは、本当につらいことだったでしょう。できればどんなことをしても生かせてやりたかったに違いない。またそんな子供に生んでしまったこと、わが子につらい思いをさせてしまったことは、親にとってこれからも思い十字架を背負うことになると思います。
しかし死んでしまった本人は、生かされる人生よりも生きることを選んだことに悔いはないのかもしれませんね。
僕はどんな境遇になっても「生きれるなら生き続けなきゃいけない」と思っています。
簡単に「死」を選んではいけない。簡単に投げ出したりしてはいけないと思っています。
「生きる」ということは自分の意志でもあるけれど、自分との関係を考えたら「生かされている」部分ってむしできないです。
しかし本当に希望の見えないどん底の境遇になってしまったら、「どうなるか本当はわからないのではないか?」とも思います。
その人は本当に強い人だったのでしょうね。
人生から逃げたのではなく、真正面から向き合ったのですね。
本当に良かったことなんて、そのときじゃ分からないしないかもしれません。
医療技術の発達も必要ですが、それが人を必ずしも幸せにするとも限らない。
ほんとうに自分がどうしたいのかや、何をしたらその人が幸せになれるのか?を本気で考えさせられる良い話でした。