必然と淡々

ギリギリのところで生きていると、必然というものととっても近づくわけで。
この必然って奴は、普段は絶対に人の近くにはいません。
っていうか、人が必然を必要としません。

必然が現れるのは、先ほど書いたギリギリだとか、余裕がないとか、つまりあんまり精神的によろしくない時なわけです。
でも必然のときじゃなきゃできないことも数多くあると思うんです。
だから、行動するというのは必然のときに「やっちゃった」ときか、
淡々とやっているときなんだと思います。

どちらも「やる」という事には変わりはないんですが、強いて言うとすればスピード感が違うとでもいいましょうか?
でも期間を長く取ると淡々のほうが大きな仕事ができると思うんですよね。

必然でもそうじゃなくても、淡々と心動かされずにやり続けたいと思っていますが、なかなか難しいです。

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この記事を書いた人

無理せず楽しく、手作りの小さな暮らしを大切に。
アラカンの「つづく生活」実践者です。
半自給自足を目指しながら、仕事・趣味・家のことをコツコツ楽しんでいます。
日々を淡々と綴ることで、人生を整えるヒントが見つかればと思っています。

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