必然と淡々

ギリギリのところで生きていると、必然というものととっても近づくわけで。
この必然って奴は、普段は絶対に人の近くにはいません。
っていうか、人が必然を必要としません。

必然が現れるのは、先ほど書いたギリギリだとか、余裕がないとか、つまりあんまり精神的によろしくない時なわけです。
でも必然のときじゃなきゃできないことも数多くあると思うんです。
だから、行動するというのは必然のときに「やっちゃった」ときか、
淡々とやっているときなんだと思います。

どちらも「やる」という事には変わりはないんですが、強いて言うとすればスピード感が違うとでもいいましょうか?
でも期間を長く取ると淡々のほうが大きな仕事ができると思うんですよね。

必然でもそうじゃなくても、淡々と心動かされずにやり続けたいと思っていますが、なかなか難しいです。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

30代で独立、妻への腎移植、自身もIgA腎症に。トレラン大好きだった自営業者です。病気やお金の不安があっても生活は続く。夫婦で60代を迎えるにあたり、福岡で小さな畑を耕し半自給自足の丁寧な暮らしへ。「急がない。でも、やめない。」をモットーに好きなことをぼつぼつ。ブログと音声配信もやってます。

目次