くろねここーしゃん

昨年2022年の5月に飼っていた黒ねこの「くろ」が虹の橋を渡ってしまいました。 これまでくろがいなくなった悲しみから逃げていましたが、あることがきっかけで大切な思い出として書き残そうという気持ちに変わりました。

知人や友人たちには「しゃちょーちゃん」と呼ばれていましたが、私たちは「こーしゃん」と呼んでいたので、今回はこーしゃんで通したいと思います。

これは偶然かはたまた運命なのか、子供のいなかった夫婦のところに来た1匹の黒猫のお話です。

目次

お別れを意識することになったその日から

2021年のGWに、飼い猫の「こーしゃん」が突然嘔吐し食欲がなくなりました。心配になり翌日かかりつけの動物病院に連れて行くと、

「腎臓が片方機能しておらず、肝臓の数値だけを見ると今日死んでもおかしくないくらいです。このまま預かってもいいですが、お家に連れて帰りますか?」と言われました。それまでいつも通りに元気に過ごしていたので、ただただショックで、その年のGWは何もせずにできるだけ一緒に過ごしました。

その年はコロナウイルスで延期となった東京オリンピック開催の年でしたし、私たちにとっても、秋に大きな手術を控えていたこともあって忘れられない年となりました。

内心10月の私たちの手術の時まで生きているだろうかと心配でした。手術の時、義母が黒の面倒をしにきてくれることになっていたのですが、最後まで看取ってあげたいという気持ちもあり、何とか生きてほしいという願いがありました。退院後も不安定ながら年を越すこともでき、

「ひょっとしたら、このままなんとか生き続けられるのではないか?」

という一途の望みを持ったこともありました。

近頃では家飼いをしている猫なら15年くらいは生きますし、長生きする猫なら20年超えの猫もいるくらいです。その時こーしゃんは7歳。本当に死ぬの?ってまだ信じられませんでした。

こーしゃん

くろの顔はちょっと不細工で、おまけにしゃがれ声で鳴くので、うちに初めて来られる方からは、「オス?」って言われたものですwww
しかし、私たちにはそのちょいブサ感がたまらなく可愛くって愛おしい存在でした。

今にして思えば子猫の時からあまり長く遊ぶこともなかったので、先天的に腎臓は弱かったのかもしれません。

そんなこーしゃんとの思い出は、いっぱいあり過ぎて全てを書き出すことはできませんが、その一つ一つを思い出すとただただ会いたいという気持ちでいっぱいになります。

そんな思い出のいくつかをここに残しておこうと思います。

出会い

2014年の9月23日の朝、いつものようにジョギングをしていたら、道脇の草むらで黒猫と目が合ってしまいました。それは手のひらに乗るような小さな子猫でした。以前借りていた事務所には黒猫が餌をもらいに来ていて、それ以来黒猫の可愛さにハマっていたこともあり、以前のように「また猫が遊びに来るといいね」と思っていた矢先の出来事でした。

それまで猫を飼う気持ちなんか全くありませんでした。その時どうして飼おうという気持ちになったのか?今では思い出せないのですが、何となく「この子がいたらきっと楽しくなる」と思ったのかもしれません。

見つけた場所が家から離れていたので、そのまま連れて帰るわけにもいかず、一旦帰宅することにしました。

妻に

「黒猫見つけたんやけど、飼わない?」

って聞くと反対の様子。

なんとか説得してとりあえず見に行こうって誘い、ダンボール箱を用意してその場所まで行ってみました。

現地に行くと子猫は、まだそこでうずくまっていました。

翌日は台風直撃の予報が出ており、上を見上げるとカラスが2羽待ち構えています。

「ねぇ、飼おうよ!」

と妻の背中を押す僕。

子猫を抱き抱えようと近づくと草むらに隠れてしまいました。で、妻が子猫を見に行くとなんと出てきて妻に抱かれてしまいました。これで彼女の気持ちも固まり、

「しょうがないね!」

ということで無事うちの家族として受け入れることになりました。

こーしゃんが来た日

しかし、連れて帰ってきたものの猫を飼うのに必要なものなど何もわかりません。子猫に何を食べさせれば良いのか?その先に何が必要なのか。全て???の世界でした。

とりあえずネットで調べたのと、SNSでこの子を拾ったのだけどどうしたらいいのかを尋ねたら、近所に住んでいる先輩猫飼いのHぽんが、急いでやって来てくれて親切にケージを持ってきてくれたり、必要なものを色々と教えてくれました。このことがご縁で、Hぽんとは今でも仲良くおつきあいさせていただいています😁

子猫期

子猫のこーしゃん

子猫を飼い始めて1週間ほど経つと、それなりに必要なものや、しなければならない事がわかって来ました。それらは今時、猫を飼う上で必要な事でした。

  • 動物病院で健康診断を受ける。
  • ダニやノミの駆除の薬
  • 3 種混合ワクチンの接種「猫伝染性鼻気管炎」「猫カリシウイルス感染症」「猫汎白血球減少症(猫パルボウイルス感染症)
  • 回虫の駆除
  • 一定期間が経ったら白血病・猫エイズの検査

等々。

それ以外にも

  • 子猫用のキャットフード
  • トイレ
  • トイレの砂
  • 食器(フード&水)

などが必要でした。

そして体重が3キロを超える頃になると去勢手術もしなければなりません。結構出費がかさみます。

そんな新米猫飼いの私たちでしたが、元気に遊ぶ「こーしゃん」の姿に日々癒されていきました。と同時にあまりにも真っ直ぐにこーしゃんと向き合い過ぎたため、育児ノイローゼみたいにもなってしまいました。

それまでの生活といえば、週末は必ずどこかに遊びに出掛けていましたし、年に何度かは泊まりがけで旅行にも行っていました。それが全く行けなくなり、ずっと猫の世話をするわけですからストレスが溜まってきたのでしょう。

ある時、

「ねぇ、もう何も考えずに1泊旅行に行こう!」

って妻から提案があり旅行に出かけることを決断。

もちろんフードとお水は充分に用意して、トイレも2つ用意、Webカメラも取り付けて、隣の県まで旅行に出かけました。結果はリフレッシュ出来たはできたのですが、旅行中ずっとこーしゃんのことが気になってしまって、翌日の昼過ぎにはさっさと帰って来て、元気なこーしゃんを見て安心していました。

その時に「もう家族なんなんだな」っていうことに気が付き、無くてはならない娘のような存在になりました。

いろんな思い出

仕事の邪魔をするこーしゃん
黄色の首輪がトレードマーク

それからというもの、することなすこと全て可愛くて仕事中にモニターの前に居座っても許せる存在に。親バカならぬ猫バカですが、猫を飼っている方ならこの気持ちきっと分かってもらえると思います😁

降りられなくなったこーしゃん

こーしゃんは猫なのに高いところが苦手。それを知らずに張り切ってキャットタワーを作ったのですが、全く上ってくれません。試しに無理矢理に最上段に乗せて見たところおろしてと鳴く始末です。
結局、作ったキャットタワーは物置と化してしまいました。

芋とこーしゃん

また、毎年作るさつまいもと一緒の記念撮影も我が家の恒例行事になりました。

芋とこーしゃん
芋とこーしゃん
芋とこーしゃん

芋はその年の一番大きなさつまいもを選んで撮影します。最初は子猫だったこーしゃんがだんだんと風格を増していく姿が、なんとも言えないおかしさがあり収穫後の楽しみの一つです。

ドライブが大好きなこーしゃん

こーしゃんは車に乗るのも大好きでよく一緒にお出かけもしました。

車に乗ると決まって💩をするのが困りものでしたが、そのクセは最後まで治りませんでした。きっとマーキングなんでしょうけど、出発して10分くらいで車内に臭いが充満するのでたまりませんでした😁
それも今となってはいい思い出です。

こーしゃんテレビに出演する

ある時、こんなことがありました。
その頃我が家で流行っていたピタゴラスイッチの「放物線の歌」をYouTubeで見ていると、こーしゃんが画面上の放物線を追いかけていたので、その姿を動画で撮影してYouTubeでアップしたところ、なんとNHKから「Eテレ2355」に出しても良いですかというメールが来ました。

もちろん即オッケーです。で、その時使われた動画がこちらです。

そんなこんなで、テレビデビューまで果たしたこーしゃん。地味に親バカ根性で嬉しかったのを覚えています。

その日が来てしまった

そんな楽しい日々もあっという間に過ぎていき、我が家でもいろんなことが起きる中、早すぎるその日がやって来てしまいました。

覚悟はしていたとはいえ、最後1週間くらいはみるのも辛いくらいぐったりして、ほとんど食欲がなくなってしまいました。水を飲んでもすぐに吐いて、どんどんと痩せ細って行くのをみるのは辛いものでした。

元気な時は健康を気にして、猫の体を気遣ったキャットフードを与えますが、食欲がなくなると正直食べるものならなんでもいいって感じになります。

ホームセンターのペットコーナーにある、ウェットタイプのキャットフードを10種類以上買い込んでは与え、一口食べてくれた時の嬉しさったらありません。

よかった!これで少しは元気になるかもと、少しの希望に期待できることに幸せを感じたものです。

亡くなる直前、親戚のRちゃん夫妻が来ていて、立つこともやっとなのにお風呂場に行って、水をいっぱい飲んでくれました。いきなり飲んだのでその後吐いたのですが、あの時何か伝えたかったのかな?

翌日、二人が目を離したほんのちょっとの隙にスッと逝ってしまいました。まるで重く辛かった肉体からふっと抜けるように。妻の呼び声に慌てて駆け寄った時、もう私たちが知っている姿ではありませんでした。

そんなくろが静かに息を引き取った後、お別れをして焼いてもらう時に見た青空は忘れられません。5月だというのにまるで真夏のように暑い日でした。

骨を家に連れて帰ってみて気づいたのは、私たちの暮らしの中にどれだけ彼女の存在が占めていたのだろう?ってことです。

幸いというか直後に大きなイベントが控えており、悲しみを噛み締めるより、そのイベントを無事に終えることに、気持ちを集中できたことはよかったです。

イベントを無事終えたあと、なんだかぽか〜んとして、話すことといえばくろのことばかり。こんな状態が続くのかなぁ〜と思っていましたが、人間の脳ってやつはあまりにも悲しいことがあると、それまでくろはいなかったんじゃないかというくらい思い出せなくなりました。

そう、あまり悲しくないのです。

まるでこれまで飼っていなかったんじゃないかと思うくらい。これにはびっくりしました。

この話を奥さんに言うと同じだという。本当に人間ってあまりにも大きな悲しみがあると、無かったことにしちゃうのかもしれません。

でもね、時が経つとじわじわと込み上げてくるように無性に会いたくなる自分がそこにいました。

また会いたいな

くろねここーしゃん

思い出は尽きません。いなくなってすぐはそれほど悲しくなかったのに、今はとにかく会いたい。そう思います。
彼女との何気ない当たり前だと思っていた日常が、これほどまでに愛おしいとは。

くろねここーしゃん

最後の春は桜も一緒に見る事ができました。

こーしゃん。こーしゃん。何度呼んでももう君はこの世にはいないんだね。

寂しいよ。

もっと一緒にいたかったね。

でも前を向いて行かなくっちゃ。

ありがとうこーしゃん

素敵な思い出をありがとう。そして僕たちのところに8年間一緒に居てくれて本当にありがとう。

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この記事を書いた人

パソコンとネットの何でも屋さん兼農家見習い中
2021年に奥さんに腎移植して人生の価値観が大きく変わりました
何が起きても諦めずに生き抜く力が一番大切
時々ブログも書いてます

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