今日、ある方のお話を聞く機会がありました。
その方はもう10年以上も前にご主人を亡くされ、しかも突然死だったので、当時はそのことを受け入れることが出来ずに、どうしていいか分からずただ悲しみに暮れていたそうですが、その後いろんな事があり住む場所を変え、今に至っているのだそうです。
その当時のことをお話されながら「まるで主人に導かれるように」生きてきたとおっしゃっていました。決して自分の意志ではなかったのだけれど、住む場所や新しい職場がこれ以上無いタイミングでみつかり、まるで亡くなった主人が私を導いてくれているようだったとおしゃっていました。
私はとても清々しい気持ちになりとてもいいお話が聞けたと思いました。
不幸なことが起こると多くの人は、「どうして自分はこうなのか?」「なぜ自分だけ不幸なのか?」と思ってしまいがちです。
人は自分一人で生きているのではなく、誰かとつながって生きています。腐って人を傷つけたり、僻んで誰かを妬んでも良いことが起こるとは思えません。
もし耐えられないような不幸なことが起きたとしても、現実を受け入れ、いえ、すぐには無理なことだってあるかもしれません。何もしたくなかったら、なにか思うことができるまで何にもしなくてもいい。ただ、自分を責めることだけはしないほうがいいと思います。
どれだけ悲しくて涙が流れても、そのうちお腹だって減ってきます。口にするのが嫌でも少しでも何かを食べたら元気も湧いてきます。自分を責めることから、なにかできる自分に気付けるかもしれません。
私が今日の話から学んだことは、未来は誰にもわからないし変えられるのだということです。
どんな事が起こっても絶望してはいけないし、そしてそれが起こる前から恐れすぎても仕方がないのだということです。
今日、Twitterを見ていたらこんなツィートを見つけました。
50歳を過ぎてから、どうやって人生を終わらせるかばかり考えている。いつまでも上り調子が続くような、希望に満ちた言葉は、心を素通りしてしまう。若い人と話が合わないのではない。もう世界の見え方が違うのだ。
— 鈴木智彦/SUZUKI TOMOHIKO (@yonakiishi) February 27, 2021
読んで思わず「いいね」をタップしてしまいました。
あることがきっかけで、これからどういう生き方をすればいいのかよく考えるようになりました。
来年の今頃何をやっているのかはわからないし、これから先何が起きるのかさえ誰も知りません。気がつけば残された人生はそれほど長くはないということに気付き、これからどうやって生きて行くことが最善なのかと思う自分がいます。結構不安な気持ちになります。
しかし、誰も知らない未来を憂いて必要以上に怖がる必要はありません。
自分がこれまで積み重ねてきた経験を活かしつつ、正直に自分の声を聞きながら、私が心地よいと思うことを続けていけばいいのだと思います。
残された時間は思ったよりも短いかもしれないからこそ、大切な自分の時間を、嫌なことに奪われてはもったいないです。
その結果誰かに必要とされ喜んでもらえることがあれば、どんな小さなことでも続けていこう!そう思っています。
生きることがこれからますます大変な時代になると思います。だからこそ誰にもわからない未来に怯えること無く、今をどう生きるかで幸せの量はまだまだ増やせるのだと信じています。