言葉が通じるということ

今日は親戚の方々が鹿児島からいらしゃいました。
今日と明日は接待をすることになっています。
そもそもいらした理由というのが、おばさんたちの姉妹のうちの一人が遠く離れたところの老人ホームに入居していて、そのお見舞いに来たというわけです。
久しぶりだったこともあり随分と話が弾んだみたいでした。
しかしそのときに聞いた話の中に「へぇ~」と思う事がありました。
鹿児島弁しか話さないそのおばさんは、ホームの中ではあまりしゃべらないそうです。なぜかというとしゃべっても「鹿児島弁」が通じないからなんだそうです。だからだんだんとふさぎ込んで、元気もなくなっているとのことだそうです。

実は私の母は、要介護5の寝たきり状態なのですが、介護をする上でいままで、介護をする「場所」という要素を考えたことがありませんでした。しかし考えてみれば、生活してる場所が変われば、そりゃ誰とでもうまくコミュニケーションがとれるなんてはずがありませんよね。
歳をとってから環境が変わるだけでもストレスなのに、ましてや言葉まで覚えろって言われてもそりゃ難しそうです。

本当は自分が長く生活していたところで死ぬまでいれたら一番いいんでしょうけれど、そうならないこともあるかもしれません。
幸せに生きて死んでいくって今は、難しい世の中なのかもしれませんね。

言葉って大切です。それによって元気が出たり、がっかりしてしまいます。人間の生活に密接した本当に大事な道具なんですね。
これからこういった問題ってもっともっと出てくると思うんですけど、個人でどんな風に対処していけばよいのかまったく検討がつきません。
わからないので結論なんかないです。
取り留めのない話になってしまいましたが、「なんだかな」と思った一日でした。

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この記事を書いた人

パソコンとネットの何でも屋さん兼農家見習い中
2021年に奥さんに腎移植して人生の価値観が大きく変わりました
何が起きても諦めずに生き抜く力が一番大切
時々ブログも書いてます

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