この間、インスタグラムで見かけた投稿の中に、こんな言葉がありました。
「幸せは、不幸のふりをしてやってくる。だから嫌なことがあっても、自分を否定したり、落ち込みすぎたりしなくていい」
その言葉を見て、「ああ、本当にそうだな」と思いました。
良いことも悪いことも、結局は自分の考え方次第です。
良いことばかりが続くこともなければ、悪いことばかりが続くこともありません。
最近になって、ようやく「人生ってそういうものなんだ」と、少しずつ腑に落ちてきました。
良いことも悪いことも、長くは続かないという事実
先日、大変お世話になった方がお亡くなりになりました。
その方を偲ぶ会を、以前よく一緒に食事会をしていたメンバーと行ったのですが、そこで少しだけ心がざわつく出来事がありました。
共通の知人が亡くなった途端、ある人の言動や雰囲気が、これまで抱いていた印象とまるで違って見えたのです。
「こんな人だったかな?」と、正直、少し不愉快な気持ちになりました。
でも、よく考えてみると、その人のことを本当によく知っていたわけではありません。
共通の知人がいたからこそ、気を遣ってくれていたのかもしれませんし、良い顔をしていただけなのかもしれません。
もし人間関係を損得だけで見ているのだとしたら、まあ、そんなものなのかな、とも思えました。
もう会うこともないだろうし、この気持ちは忘れてしまおう。
そう思うことにしました。
少しだけ不愉快な出来事ではありましたが、そのおかげで、亡くなった方との思い出をたくさん思い出すことができました。
そして、その方に対して、少しでも感謝や恩返しができたような気がして、結果的には良かったのだと思っています。
逆に、良いことがあったときに調子に乗ってしまうと、つい人の迷惑を考えずにやらかしてしまうこともあります。
私は子どもの頃から、そういうところがありました。
調子に乗っては失敗し、そのたびに親によく怒られていました。
きっと怒られた理由は、失敗そのものだけではなく、「落ち着きなさい」というメッセージだったのだと思います。
昨年を振り返ってみると、本当にジェットコースターのような一年でした。
良いことも悪いことも、いろいろありました。
でも、最後に残った感覚は、やはり
「禍福は糾える縄の如し」
という言葉そのものでした。
悪いことは、良いことにつながっている。
良い状態が続いてほしいと思っても、そうはいかない。
行動することでしか、人は変われない
人間は、できるだけ楽をしたい生き物だと思います。
でも、それを目標にしてしまうと、苦しいことが起きたときに、人と比べたり、今を否定したり、ネガティブな考えにとらわれがちになります。
それでは、何も解決しません。
悪いことが起きても、それは良いことの予兆かもしれない。
良いことが起きても、それがずっと続くとは限らない。
だからこそ、恐れすぎず、不安に飲み込まれずに、自分が「面白い」「やってみたい」と感じたことを、自分らしく生きることが大切なのだと思います。
アラカンになって分かった、すでに満たされているという事実
この年になって、誰に何を言われても、大したことではないという気持ちにやっとなりました。
人にどう見られるよりも、残された人生を自分らしく生きて、
「ああ、生き抜いたな。やりたいことをたくさんやったな」
そう思えた方が、ずっと素晴らしい人生なんだと言える様にもなりました。
現に、ここ数年は生きることがすごく楽に感じられるようになりました。
周りの目をそれほど気にしなくなりましたし、自分のことを大切に考えられるようにもなりました。
正直、今の自分のこと。結構好きです。こんな気持ちになるなんてちょっとビックリです。
生きていれば、いろんなことが起きます。
それに一喜一憂しても仕方がありません。
お金がなくなったら、なくなったなりの生活をすればいい。
今の年齢であれば、まだ稼ぐことだってできます。
大切なのは、今を悲観して立ち止まってしまうことではなく、
「じゃあ、どうすれば良くなるだろう?」
と考え、行動に移すことだと思います。
何か行動すれば、必ず何かを感じます。
何かを感じれば、また次の行動につながります。
人は、行動することでしか成長できません。
社会も同じで、自分の延長線上に社会があるのだと思います。
どんなに小さなことでも、何かを変えていけば、きっと良くなっていく。
私はそう信じています。
最近、自分より年上の先輩方や、父、義理の母、おばと接する機会が増えました。
そこで感じたのは、「自分も歳を取ると、こうなるんだな」という現実の確認でした。
父も80代になり、体がだんだん動かなくなっています。
それを悲観して、考え方もよりネガティブになっているように感じます。
これまでの習慣を変えようとせず、
お金が足りなくなっても、どうしていいかわからないまま、同じことを繰り返している。
たぶん、考える力そのものが弱くなっているのだと思います。
不安に対して、どう対処すればいいのかわからなくなっている。
でも、それは「お金があれば解決する問題」というわけではなさそうです。
おそらく父の場合は、
これまで自分の頭で考えて行動してこなかったからこそ、
やり方が通用しなくなった瞬間に、立ちすくんでいるのだと思います。
人間は年齢には抗えません。
どんなにすごい人でも、いつかは若い人たちにバトンを渡す日が来ます。
そういうときに意固地になっても仕方がありません。
自分にできることは自分でやる。
その気持ちは大切にしつつ、受け取る側に回るときには、素直でいたいものです。
だからこそ、これから「つづく生活」を営む上で、
「可愛い年寄りを目指していきたいね」
と、心から思います。
老後のお金は「額」より「向き合い方」
歳を取ったときのお金との向き合い方は、今から準備しておく必要があると強く感じました。
たとえ65歳で退職金をもらい、まとまったお金が手に入ったとしても、
そのお金を年金と合わせて切り崩しながら、
「あと何年生きるんだろう」
と考え続ける不安は、長生きすればするほど大きくなると思います。
やはり、何らかの形で働き続けられる生業(なりわい)を用意しておく必要があります。
働くこと自体は悪いことではありませんし、
何歳になっても社会とつながり、お金を稼げるという感覚は、将来の不安を少しずつ小さくしてくれるはずです。
60代なら、まだ選択肢は多いですが、
70代になると一気に狭まります。
80代になれば、なおさらです。
だから私は、「75歳くらいまで、自分の好きなことで収入を得る」ことを目標に、今の暮らしを考えています。
自分で野菜を作り、その野菜を使って漬物やジャムを作る。
それを直売所で販売したり、新しい販路を作ったりする。
夫婦で月に10万円。
そこに別の形で10万円を足して、月20万円で生活する。
そう考えると、案外できそうな気がして、自信にもなりました。
まだ目標にはほど遠いですが、決して無理な話ではないと思っています。
月の半分くらい働いて、残りの半分は好きなことに使う。
そんな60代、70代を過ごせたら、きっと楽しいだろうなと、今からそうできるように準備を進めています。
もし80代まで生きられたとしたら、その頃は体も思うように動かなくなっているはずです。
そのときは、手元資金を元に、小さな暮らし、半自給自足の暮らしができたらいいなと思っています。
もちろん、今考えている通りに進むとは限りません。
でも、70歳になって慌てるより、今から準備しておく方が、ずっといい。
幸せは、不幸のふりをしてやってくる。
そう思いながら、今日も一歩ずつ、続けていこうと思います。
