昨年末の検診の際、これまでは正常だった尿の検査でたんぱくと潜血の値が+になりました。しばらく様子を見ても改善せず、担当のドクターから「値は微量だけど腎臓が一個しかないから、用心のためにも腎生検をしましょう」と提案がありました。
こうして、人生初の腎生検を受けることになりました。
妻が以前に腎生検を受けており、「あれは痛いよ」と聞いていたので少し怖かったのですが、避けられません。
検査のためにエコーを撮ると、腎臓の位置が通常より深いところにあることがわかり、通常の方法ではなく外科的に開腹して直接腎臓から組織を取ることになりました。
担当してくださるのは、以前に腎移植の手術をしてくださった先生。顔見知りでもあるので少し安心できました。
説明では「後ろの脇腹を5センチほど切って腎臓から組織を取る」とのことで、時間もスムーズにいけば1時間ほどと聞いていました。
久しぶりの全身麻酔手術を翌日に控え、少し不安な夜に思いつくままにいろいろなことが思い出されます。
前回の手術のとき、「もう二度と手術は嫌だ」と思っていたのに、4年後にまた受けることになるとは、人生は本当にわからないものです。
人にできることは「今を生きること」だけ。
ならば笑って前向きに生きた方がいいよね、と何度目かの同じセリフを自分に言い聞かせました。
でも、きっとそれでいいのです。人はそうやって、前を向きながら歴史を作ってきたのだと思います。
夜の長い時間の過ごし方
入院中、いろいろなことを考えていました。というより、考えというよりも「感じていた」という方が近いかもしれません。
夜中に尿意で起きたあと、ベッドに横たわりながら眠りに落ちるまでの時間に、過去の出来事を思い出しては、行き当たりばったりに感じたり考えたりしていました。
そんな時にしていたのが、あるテーマを決めて過去を振り返るという「記憶の遊び」です。
例えば「母方の祖母」をテーマに思い出をたどってみるとこんな感じです。
僕にとって、ばあちゃんの家は“田舎そのもの”でした。家の裏には一面の田んぼが広がり、裏口を出ると用水路があり、豊富な水がいつも流れていました。田んぼの畔でバッタを捕まえたり、用水路でお玉杓子をすくったりして遊んだものです。
稲から香る独特の匂い、夜にはカエルの鳴き声が聞こえ、田んぼを吹き抜ける風がとても心地よく、今でもその感覚を鮮明に思い出せます。
ばあちゃんの家の間取りや、置いてあったものもよく覚えています。玄関には紫色のフレームの自転車があり、ブレーキはワイヤーではなくロッドでつながっていました。部屋の棚には、旅行先で買った人形や置物がずらりと並び、行くたびにその人形が増えるものだから、「これはどこに行って買ったの?」と聞いていた記憶があります。奥にはじいちゃんの仏壇がありました。
五右衛門風呂では薪を燃やすのが子どもたちの仕事で、火をつけるのが楽しくてたまりませんでした。今のアウトドア好きは、きっとこの経験が原点です。
ばあちゃんはいつも野良猫にご飯をあげていて、「みーや、みーや」と呼びながら、鰹節を混ぜた“ねこまんま”を作っていました。僕の猫好きは、間違いなくここから始まったと思います。
ばあちゃんは畑もやっていて、家から少し離れたところにある畑に毎日のように行っていました。行く途中にバイク屋があって、たくさん並んだバイクをかっこいいって思いながら見ていました。畑では僕はただ遊んでいるんだけどそれもすごく楽しかった思い出があります。
そうやって思い出してみると、なんとばあちゃんちには僕が好きなものが全てあることに気がつきました。
そんなばあちゃんが、中学校に上がるときに「毎日少しでいいから勉強を続けなさい。続けることができれば、なんでもできるようになるんだよ」と言ってくれました。
学生時代は守れなかったけれど、今になってその言葉の意味がよくわかります。続けることこそが生きる上で一番大切なのだと感じます。
その後は小学校の記憶を思い出したり、当時の友人たちの顔を思い浮かべたりしていました。
いつの間にか眠ってしまうことが多かったですが、こんなふうにゆっくりと自分を振り返る時間を持てたのは本当に久しぶりでした。
家で眠れないときは、たいていお金や仕事、これからの不安ばかりが頭をよぎります。
けれど、どれほど考えても変わらないこともある。わかっていながら、つい考えてしまうのが人間というものなのでしょう。
そんなふうに、うつらうつらとしながら過ごす夜は、ある意味とても贅沢な時間でした。
手術当日
手術は13時開始の予定でしたが、呼ばれたのは14時過ぎでした。術着のままオペ室入り口まで歩き、妻と別れて麻酔の点滴を受けると、次に気がついたときにはもう手術が終わっていました。
しかし術後2日間は痛みとの闘いでした。
先生によると、私の腹は筋肉と脂肪が厚く、腎臓までの到達に時間がかかったそうで、予定の5センチの切開が12センチほどになったそうです。手術を終えた先生が妻に「だいぶ切りました」と汗だくで伝えに来てくれたと聞きました。
翌朝、先生が病室に来て「痛いでしょ?」と笑いながら声をかけてくれました。
この先生は移植手術のとき、術後2日で退院を勧めた人です。
そのとき「先生、本当に大丈夫ですか?自分で電車で帰るつもりなんですが」と聞いたら、「大丈夫ですよ」と言われたものの、実際は歩くのもやっとでした。
そんな先生が「痛いでしょ?」と言うくらいだから、今回は相当だったのでしょう。
それでも3日目にはみるみる回復し、寝返りも打てるようになりました。人間の生命力は本当にすごいものです。
普段は感じない健康のありがたさ
入院中、大腸疾患でストーマをつけている方が若い人まで多くいることに驚きました。
私が入院していたのは腎臓・大腸の外科病棟だったので当然かもしれませんが、カーテン越しに聞こえる会話から、それぞれの苦しみや努力が伝わってきました。
腹痛の緩和のための入院だと思っていたのに、週明けには大腸ストーマの手術の話をされて狼狽している若い人の声。
ストーマをつけた後の生活がどんなものになるのか。経済的にどのくらい費用がかかってしまうのか。などなど。聞いていて居た堪れなくなります。しかし、その手術もその人が生きるためには必要なのだとしたら何とも言えない気持ちになりました。
そして改めて感じたのは、自分も含め、病気や怪我で困っている人を助けてくれる病院に関わっている方々への感謝です。
ドクター、看護師、技師、薬剤師、食事を作ってくれる方々、掃除やベッドメイクをしてくれる方々、空調を管理する方々など、多くの人の支えによって入院生活が成り立っているのだと実感しました。
健康は当たり前ではなく、奇跡の連続だと思います。
どんなに予防しても病気にかかることもあるし、怪我をすることだってあります。
だからこそ、医学の発達や医療の充実、そしてそれを支える社会の仕組みがどれほど大切かを痛感しました。
日本では、お金がなくても必要な医療を受けられます。
これは多くの国では当たり前ではありません。
改めて、日本に生まれてよかったと感じます。
人は誰かの力を借りずには生きていけません。
自分の力だけで生きているようでも、必ずどこかで誰かの支えがあります。
だからこそ、自分にできることで社会に貢献していきたいと、今回の入院で強く感じました。
大きなことはできなくても、私にできる範囲で誰かの役に立つことはきっと出来ると思います。
見返りを求めるわけではありませんが、自分の行動が世の中にとっていいことだったら、きっと回り回って良い循環を作っていくのではないでしょうか?
「奪えば足らず、分け合えば余る」——この言葉の意味を、今回の手術で強く実感しました。
弱って初めて気づくことも多いですが、それも人間らしさなのだと思います。
痛みを通して、自分を見つめ直し、これからの時間をどう生きたいのかを考える良い機会になりました。
そして退院までに、もう一つ強く感じたことがありましたが、それは次のブログで書こうと思います。
