「いい大学に入って、いい会社に就職する」——私が子供の頃、それが正解とされてきました。
でも本当にそうでしょうか。勉強が向いている子もいれば、そうじゃない子もいる。美容師や大工、料理人やパティシエとして圧倒的な才能を持つ子が、受験のための勉強だけをやり続けることに、どれだけの意味があるのでしょう。
そんなことを、友人の子どもの話を聞きながら、あらためて考えさせられました。
好きなことと得意なことは、別々に存在するのではなく、好きなことを突き詰めた先に、得意なことが生まれるのかもしれない。そしてその「好き」こそが、その人だけの才能なのだと思うようになったのです。
学校に行けなくなった子どもが選んだ道
その子は小学生のころ、学校に行けなくなりました。
理由は、「どうしてみんなと同じことをしないといけないのか」がわからなかったからだそうです。
ご両親は、無理に通わせようとするのではなく、まったく別の環境を選びました。それが、北九州・平尾台にある「子どもの村」という学校への転校でした。
そこでは、学習内容も行事も、すべて子どもたちが自分で決めます。教科書はあるようでない。物理を学びたければ、実際に木を切ってみる。体験の中から学んでいく場所です。
「好き」との出会いが、才能を開花させた
その環境の中で、彼はあるものに出会いました。「淡水の世界」です。
なぜそれだったのかはわかりません。ただ、水の中の世界が、とにかく面白くて仕方なかったのでしょう。魚だけでなく、植物、環境、水の中で起きているすべてのことに、どんどん興味が広がっていきました。
誰かに止められてもやめない。それくらい夢中でした。
これが、いわゆる「才能の種」だったのだと思います。才能というと、最初から何かが「できる」状態をイメージしがちです。でも実際には、圧倒的に好きで、圧倒的に続けられること——それが才能の正体なのかもしれません。
「できる前提」で関わる親の姿勢
ご両親の関わり方も、印象的でした。
「危ないからやめなさい」「失敗するからやめなさい」——そういう言葉はほとんどなかったそうです。奥さんが疲れていたら子どもにご飯を作らせ、小学生のころから一人で電車に乗って祖父母の家へ行かせていた。普通包丁で怪我をさせるかもしれないからとか、ご飯を作るのは母親の勤めとかっていう考えになりそうなんですけど、友人は違ったのでした。
彼女は、
「人には目も耳も鼻も口もある。わからなければ人に聞けばいい。理解する頭もあるんだから、できないことはない」
「できない前提」ではなく、「できる前提」で関わっていた。この違いは、思っている以上に大きいと感じます。
子どもは、自分がどう見られているかを敏感に感じ取ります。「あなたはできる」という前提の中で育つことで、自分自身への信頼が育っていくのでしょう。
「好き」があれば、壁も越えられる
高校受験のとき、彼は壁にぶつかります。好きなことはとことんやってきたけれど、受験勉強はほとんどやっていなかった。最初は塾に行っても、何を言っているのか全然わからなかったそうです。
でも、彼にとって受験は「やりたいことを実現するための手段」でした。その瞬間、スイッチが入ります。
次に会ったとき、彼はこう言いました。「なんでみんな、これがわからないんだろう」——そこまで一気に理解が進んでいた。そして見事に、志望校へ合格します。
「好き」という核を持っている人は、必要なときに必要な力を出せる。そのことを、まざまざと見せてもらいました。
中学生で国際フォーラム、そしてケンブリッジへ
さらに驚いたのは、その後の話です。
彼は中学生のころからすでに、淡水環境に関する国際フォーラムに参加していました。しかも旅費は自分で用意していた。論文コンテストで賞金を獲得し、それを資金に海外へ渡ったのです。
ここで大事なのは、「彼だから特別にできた」のではないということです。「行きたい、でもお金がない」という状況に直面したとき、彼は「では何ができるか」を考えた。その結果として、論文コンテストという手段にたどり着いた。考えて、動いただけです。
「好き」を持っている人間は、壁にぶつかったとき、諦めるのではなく「どうすればできるか」を考えます。その思考の習慣が、道を切り開いていくのだと思います。
そして今は、大学院で研究を続けながら、ケンブリッジへの留学も終えたそうです。
「いい大学→いい会社」という価値観は、もう終わっている
この話を聞いて、あらためて思うことがあります。
「いい大学に入るために勉強しなさい」「いい会社に就職すれば安心だ」——その価値観が、どれだけ多くの子どもたちの「好き」を押しつぶしてきたのでしょうか。
勉強が向いている子には、受験も意味があります。でも、そうじゃない子もいる。美容師として、大工として、料理人やパティシエとして、圧倒的な才能を持つ子が、受験のための勉強だけに何年もかけることに、どれだけの意味があるのでしょう。
才能は、「好き」の中にあります。何時間でも没頭できること、誰かに止められてもやめられないこと——それがその人の才能の正体です。そしてそれは、偏差値や学歴とは、まったく別のところにあることが多い。
友人の子どもが教えてくれたのは、そういうことだと思っています。
「好き」が空っぽだと、何も積み上がらない
大事なのは、自分の中に、ちゃんと”好き”があるかどうかです。
そこが空っぽだと、何をやっても積み上がっていきません。得意なことを探そうとしても、「好き」という根っこがなければ、なかなか見つからない。逆に、「好き」があれば、続けることで自然と得意になっていきます。
これは「嫌なことは全部やめよう」という話ではありません。でも、自分の「好き」を後回しにして、誰かが決めた正解だけを追い続けることには、やはり限界があると思っています。
私が友人の子どもから学んだこと
正直に言うと、私はずっと「努力すれば何でもできる」と思ってきました。それは嘘ではありません。でも、自分の「好き」をあまり大切に考えてはいませんでした。
努力は大事です。でも、「好き」という土台のない努力は、どこかで息切れします。彼を見ていて、そのことを痛感しました。
そして今、60歳を前にして思うのです。若いころのように、なんでも体力でカバーすることはできなくなってきました。でも、だからこそ「好き」を大切にできる年齢になってきたとも感じています。
焦りではなく、自分のペースで。義務感ではなく、本当に好きなことを。そうやって続けていくことが、今の自分にはいちばん合っていると思っています。
今が一番若い日です。あなたの「好き」を、大切にしてみてください。続けていけば、必ず何かが積み上がります。それが、あなただけの才能になっていくはずです。
この記事は、ポッドキャスト「つづく生活ラジオ」の内容をもとに書いています。音声でも聴けますので、よければあわせてどうぞ。
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