退院してゆっくりしていたときに、電話が鳴りました。
電話をかけてきた人の名前を見た瞬間、すぐに何が起きたのか分かりました。
「あぁ、とうとう亡くなったか」
私が人生の恩人と思っている方の息子さんからの電話で、出てみるとやはり「父が亡くなりました」との知らせでした。
通夜の祭壇に飾られた遺影は、初めてお会いした頃のものでした。
いつもおしゃれで、かっこいい方でした。
出会いと学びの始まり
その方とのお付き合いは、かれこれ20年になります。
独立したばかりの頃、知人を通じて「パソコンの操作を教えてくれないか」という依頼をいただきました。
仕事がまだ少ない時期だったので、喜んでお引き受けしたことを今でも覚えています。
紹介された方は医院の院長先生で、当時67歳。
電子カルテ化が進む前に、キーボード操作などを身につけておきたいというご希望でした。
当時の私は、病院の先生というととても偉い存在に感じていて、「自分なんかで務まるのだろうか」と心配していました。
しかし、その不安はすぐになくなりました。
最初は寡黙で、こちらが何をお教えしても反応が薄く、少しやりにくいなと感じていました。
けれど、さすが医師。地頭が違いました。質問は的確で、一度お教えしたことは忘れないのです。
回数を重ねるうちに基本操作を覚えられたので、興味のあるテーマで練習してもらおうと考えました。
それが「西鉄ライオンズの稲尾和久投手」でした。
先生がスポーツ観戦、特にプロ野球が好きで、西鉄ライオンズのファンだと知ったのです。
ネットで検索すると、ちょうど稲尾投手の特集記事を見つけました。
先生は大喜びされ、記事を入力練習の題材にしました。
興味のある内容なので飽きずに続けられ、質問を交えながら数ヶ月ほど続けました。
その間、先生から当時の野球の話をたくさん聞かせていただきました。
平和台球場に仕事帰りに応援に行ったこと、日本シリーズで巨人を破って日本一になったことなど。
そのどれもが生き生きとしていて、私にとって貴重な時間でした。
年賀状の作成をしたときのことも思い出します。
初年度は住所録がなかったため、一人ひとり住所と名前を入力してもらいました。
関係者を見ると、医療関係者や社会的地位の高い方ばかり。
それまで年賀状は看護師長さんが手書きしていたそうで、印刷できるようになったときはとても喜ばれたそうです。
食事会と深まるご縁
そのようなやり取りを重ねながら、先生との関係は長く続いていきました。
晩年にはスマートフォンに買い替え、LINEも覚えていただきました。
お会いできない時期も、LINEでやり取りできたのはとてもありがたかったです。
ある程度親しくなってからは、年に2回ほど妻も一緒にお食事に誘っていただきました。
普段はなかなか行けないようなお店で、毎回とても楽しみにしていました。
1軒で終わらず、2〜3軒はしごするのがお決まりで、それもまた楽しい思い出です。
お酒の席では普段は聞けないお話をたくさんしてくださいました。
亡くなられた奥様との馴れ初め、医師になられた経緯、お子さんたちのことなど。
私は先生のことを誰よりも知っている一人だと自負しています。
きっと「こいつなら自分の恥にはならない」と思ってくださっていたのかもしれません。
先生といえば、忘れられないのが挨拶です。
お会いするときはいつも「おっ!」と片手を上げて挨拶し、別れるときは握手をしてくれました。
その人懐っこい笑顔と仕草に、いつも心が温かくなったことが思い出されます。
教えられた人生観
息子さんが医院を継がれたり、先生が病気になられたり、私の妻が病気で入院したりと、いろいろなことがありましたが、細々と続けて気がつけば20年が経っていました。
その間、先生を通じて「どんなに社会的に偉い人でも、結局は同じ人間だ」ということを学びました。
これまで「自分なんて」と卑下していた考えが間違いだったと気づかされました。
先生は何も説教などされませんでしたが、先生の姿や言葉、お酒を酌み交わす時間の中で、私は多くのことを学ばせていただいたのです。
どんなに地位が高くても、人はみな見えない苦労を抱えている。
人間関係や家族との別れなど、誰にでもある人生の一面を垣間見たとき、
「自分を卑下することも、相手を過剰に敬うこともない」と思えるようになりました。
少しずつ、自分に自信を持てるようになったのです。
晩年には、先生のご友人ともお会いする機会をいただき、その中で印象的な言葉を聞きました。
先生はよくこう言っていました。
「この社会は男と女しかいないのだから、政治も男女半分ずつでないとおかしいよ」と。
そしてもう一つ、私の心に深く残った言葉があります。
「人は、会えるときに会っておいた方がいい」
一見当たり前のようですが、これはとても深い言葉です。
人を変える大きな力の一つに「出会い」があります。
ご縁をいただいた方には、面倒がらずに会ってみること。
その出会いが人生を変えるきっかけになるかもしれません。
この「人は会えるときに会っておいた方がいい」という言葉と「男女半分」という言葉は、先生からいただいた大切な教えです。
最後にお会いしたのは、ちょうど1年前ほど前でした。
お気に入りの球団の話題を、野球を観ながらLINEで語り合いました。
私は特に興味がある方ではありませんでしたが、おかげでその時期のチーム事情にはずいぶん詳しくなりました。
糖尿病を患っていた先生は宅配の糖尿病食を召し上がっていましたが、美味しいものが大好きな方でしたので、きっと食事には満足できていないだろうなと感じていました。
そこで月に一度、妻が糖尿病に配慮した手作りの惣菜を作ってくれて、それを私が届けていました。
そのたびに先生は嬉しそうに受け取ってくださり、
「本当にもらっていいの?」と、いつも同じセリフをおっしゃって笑うその表情が、今でも忘れられません。
夜と翌朝の2食分を用意していたのに、夜にLINEをすると「美味しくて夜に全部食べちゃった」と返信があり、思わず心配したことを思い出します。
妻に話すと「カロリーは抑えているし、毎食ではないから、食欲があるのはいいことだと思うよ」と言われて、ほっと安心したのを覚えています。
世間では先生は「寡黙」と言われていましたが、私にとっては少し違いました。
2人でいると、よく話される方だったのです。
それも冗談交じりにトンチの効いた言葉を返してくださり、その絶妙さが本当に面白かったです。
先生の口癖は「何ですか?」と「わからん」でした。
疑問に思ったことはすぐに尋ねられ、理解できなければ「わからん」と言われる。
そのやり取りのおかげで、私も多くのことを学ばせていただきました。
最後のお別れ
最後は脳梗塞や認知症、運動機能の低下により、自宅での生活が難しくなり、施設で過ごされました。
「みっともない姿を人に見られたくない」とおっしゃり、それからはお会いすることもLINEで話すこともできなくなりました。
そして、訃報を聞くことになりました。
本当は意識のあるうちに直接お礼をお伝えしたかったですが、お会いできない時間の中で、自分なりに心の整理をすることができたように思います。
葬儀では感情がこみ上げましたが、これ以上ないお別れができたと感じています。
先生、本当に長い間ありがとうございました。
先生にお会いしていなければ、私は今でも「どうせ自分なんて」と卑下していたでしょう。
一人の人間として、私と真摯に向き合ってくださったことに心から感謝しています。
ありがとうございました。
合掌。
