電車マナーから見える思いやり不足と、人との距離の心地よい取り方

電車マナーから見える思いやり不足と人との距離の心地よい取り方

人がたくさん集まる場所に行くと、そのときどきの社会の空気がよく見えるものです。なかでも電車の中は、小さな人間模様がぎゅっと詰まった「社会の縮図」みたいだなと感じます。

電車に乗るのは、できれば避けたいなと思うことが多いんです。特に人が多い時間帯は、どうしても気持ちがざわついてしまう。普段はあまり利用しないのですが、先日、特急に乗ったときの出来事が心に残っています。

野球部らしき学生が、二人掛けの席に荷物を置き、ほかの人が座れないようにしていました。よく見れば、サラリーマンも同じように鞄を広げ、当然のように二席を占領しています。その横で、年配の方が立ったままなのを見たとき、「これはどうなんだろう」とモヤモヤしました。彼らも疲れているのかもしれない。でも、ほんの少し気を配れば、ずっと気持ちのいい空間になるのにな、と。

妻から聞いた話もあります。疲れて電車で帰る途中、優先席(妻は障害者)に座ろうとしたら、元気そうな中年の男性に先を越され、「ほかの席に座ればいいじゃないか」と言われたそうです。話を聞いた私はしばらく怒りがおさまりませんでしたが、よく考えれば、そういう人に言葉を尽くしても伝わるものではありません。むしろ、嫌な思いをする前に、さっと別の車両に移った方が心穏やかに過ごせるな。そんなふうに思いました。

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思いやりが足りなくなった社会

こうした小さな出来事だけでなく、この数年前から特に、世の中が少しギクシャクしているなあと感じることが増えました。みんな自分の権利や主張には敏感なのに、義務や思いやりにはなかなか目が向かない。もし自分の持っている「ちょっとの余裕」を誰かに分けられたら、社会はもっとスムーズに回るのに、と思うことがあります。

昔から「奪えば足らぬ、分け合えば余る」と言いますよね。その言葉どおり、ほんの少しの気配りで、お互いがずっと心地よく過ごせるのではないでしょうか。

人とのつながりも、以前に比べると薄くなった気がします。朝の散歩で挨拶をしても返ってこないことが多く、こちらもつい控えてしまう。そんな中で、不意に学生から元気に挨拶をされると、驚くと同時にちょっと恥ずかしくなる。人と人との関係が希薄になるのは寂しいことですが、それでも小さな関わりに救われる瞬間があります。

人はひとりでは生きられない

最近は、誰もがそれぞれ違う価値観のレイヤーをそれぞれに生きているように感じます。自分にとっては「おかしなこと」も、その人にとっては「当たり前」。そう考えると、「まあ、そういう人もいるよな」と受け流せることも増えてきました。

でも、人はひとりでは生きていけません。だからこそ、価値観が近い人とのつながりを大事にし、それ以外の人とはほどよい距離を保てばいいのかもしれません。

人間関係は不思議なもので、薄くなれば「もっと深く関わりたい」と思い、濃くなれば「ひとりで自由に生きたい」と思う。そんな揺れ動く心も、人間らしさなのだと思います。

それでもやっぱり、思いやりや気配りを忘れずにいたい。きっとそのほうが、めぐりめぐって自分の幸せにつながると信じています。

電車の中でのちょっとした出来事が、そんなことを考えさせてくれました。

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この記事を書いた人

無理せず楽しく、手作りの小さな暮らしを大切に。
アラカンの「つづく生活」実践者です。
半自給自足を目指しながら、仕事・趣味・家のことをコツコツ楽しんでいます。
日々を淡々と綴ることで、人生を整えるヒントが見つかればと思っています。

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