みんな、人生の時間とお金の話をしよう
みんな、もしも身近な人が「余命わずか」って言われたら、何を思うでしょうか。
70代までずっと働いて、「これからやっと自分の時間だ」ってタイミングで、そんな現実が突きつけられたら――。
最近そんな人生の先輩の話を聞いて、いろいろ考えさせられました。
多くの人が、お金を貯める目的を漠然と「老後のため」だったり、「何かあったときの備え」のためだったりしていると思います。
でも、よく考えてみると、その“何か”が来る前に、人生が終わってしまうことだってないわけじゃありません。
また、貯めるだけ貯めて、いざ使うっていうときに、使い方がわからなくって、本当に自分のために使える人って少ないんじゃないでしょうか。
「そんなことない、お金を使うのなんて簡単」という人もいるでしょうが、自分がやりたいことがわかっていて、そのために、後先考えずに使える人ってそれほどいないのではないでしょうか。
実際に使う時って、いくらでもお金があってこれくらい使っても影響がないとわかっていたり、持っているお金の範囲内でこれくらいなら大丈夫と思って使うイメージだと思うのですが、それでもいざ使うってなると、せっかく貯めてきたお金が一気に無くなるという不安が先に立って、本当にやりたい事に使えない人が多いように思います。
しかし、1年後に死ぬってわかったなら、全く違う挙動を取ると思うのです。
「お金」って、使ってこそ意味があります。
そのことをわかっている日本人は非常に少ないのではないでしょうか。
本来お金って自分がワクワクすること、心が動くことに使うために、貯めるものじゃないでしょうか?
そして「お金」も含めてですが、「所有」っていう考え方もちょっと考え直してみたい。
家とか土地とかモノとか、手に入れると手放したくなくなります。
それは私も一緒です。
でも、私たちは何ひとつ死んだ先もずっと所有することはできません。
限られた時間の中で「一時的に持っているだけ」のものに、どれだけ執着しても何の価値があるのでしょうか。
もちろん、所有することには満足感や誇らしさもあるし、それ自体が悪いわけではありません。
でもそれ以上に、「自分が本当に楽しいって思える時間」を大切にしたいなって、最近よく思います。
不安に備えるあまり、本当にやりたいことを後回しにして、気づいたら自由に体が動かせなくなっている――それって、もったいない話です。
たくさんお金がなくたって、自分なりに楽しめた時間が残ったならば、それで十分価値のある人生だと思いませんか。
自分以外の人と自分を比べて「お金」を持っている人。自分より高級な服や車に乗っている人だって、全てにおいて自分より幸せなわけじゃないかもしれません。
だから私は人を羨むのをやめました。だって意味がないから。
だから、
やりたいことがあるなら、今すぐどんなことでもいいからやりたいことに近づけるように動くようにしています。例えば、行きたいと思うところができたとして、今すぐには行けなくても検索してそこの情報を調べたり、安く行く方法を調べたりするだけで、ずっと近づくことができます。
完璧じゃなくていい。不安があってもいい。どんな些細なことでもいいから、「楽しい!」って心から思える人生にしたいです。
この世界に、自分とまったく同じ人間は一人もいません。
だからこそ、自分だけの人生を「楽しかった!」って言えるように、残りの人生を生きていきたいなって、
余命わずかな先輩の話を聞いて思いました。