私はかつて今の暮らしにどこか違和感を覚えていました。
「もっと豊かに」「もっと便利に」と求める一方で、心のどこかで「本当にこれが幸せなのか?」「追えば追うほどそうじゃなくなっている」気がしていました。
しかし、あることがきっかけで、私は、必要以上に求めず、小さくても自分の手で暮らしをつくっていく「小さな生活」を大切にしたいと思える様になりました。
自分の暮らしに必要なお金は、実はそんなに多くない
まず考えたいのは、「本当に必要なお金ってどれくらい?」という問いです。
派手な見栄や流行に振り回されず、自分が本当に必要とするものだけにお金を使えば、思っている以上にお金はかからないことに気がつきます。
- 清潔な身だしなみ
- 毎日のご飯と味噌汁
- 少しのぜいたくはたまの外食で
- 自分で育てた旬の野菜とお米
これだけでも、十分に豊かさを感じられる暮らしができます。むしろ、自分で作ったり育てたりすることで、技術が身につき、誰にも奪われない「生きる力」になります。
お金は「気持ちよく使う」もの。必要以上に貯めない
お金はただ貯めるためのものではなく、エネルギーのように循環させるものであるということに気がつきました。目的なく増やしたお金は、得てして使えなくなり貯金の目的が老後の心配だったはずなのに、使えないままお金に振り回される人生になるような気がします。
自分が思った通りに貯めておいても、思わぬ出費(病気、交通違反、詐欺など)で失われることもあります。
それよりも、自分の成長や誰かを喜ばせることに気持ちよく使った方が、巡り巡って自分に返ってくるのではないでしょうか。
もし想像以上に失ったりしても、入ってくる以上に使わないという基本をわかっていれば大丈夫です。出ていったお金に固執するあまりお金の入り口が小さくならないように、流れたものはまた循環して帰ってくる。そのためにも流れを滞らせないようにしておくことが大切だと考えます。
「稼ぎ方」も「生き方」ももっと自由でいい
大金を一度に稼ぐ必要はありません。
月に3万円の仕事を10個積み重ねれば、それで30万円です。いきなり出来なくても大丈夫です。1個しか出来なければ、2個にして行けばいいわけです。稼ぎが小さければ税金も保険も最小限です。
必要最低限を確保しつつ、自由に働くことで、心の余白を確保できますし、お金を回せていけば自分の好きなことをする時間も増やせます。
「もし働けなくなったら?」
確かにそんな不安もあるでしょう。でも、未来の不安ばかり考えるより、今できることを少しずつ増やしていくほうが、ずっと建設的で前向きだと思いませんか?
「衣・食・住」を見直して、自分の手で暮らしをつくる
暮らしの基本である「衣・食・住」。これらを見直すことで、自分らしい生活が見えてきます。
- 衣:見た目の豪華さではなく、清潔感と実用性を大切にする。
- 食:畑を持ち、自分で育てた野菜や米を食べる。味噌を作る。料理の基本を学ぶ。
- 住:地方の古家を安く手に入れて、自分で修理して暮らす。大工仕事を学ぶ。
身だしなみは私の場合、一番こだわりがないので参考にならないかもしれないけど、清潔で最低限他人に不快感を与えなければいいと思っています。もしおしゃれが好きな人だったら、何でもかんでも欲しがる以外に工夫してみるといいかもしれません。(すみません、この分野はよくわかりません。)
食べ物も毎日食べるものは、炊き立てのご飯とお味噌汁があれば充分です。そりゃ、たまには美味しいものも食べたくなるだろうけど、そんときゃ外食すればいいだけの話です。自分で野菜を作って、味噌を作り、お米を作っている人のところで働いて安く分けて貰えば、一番美味しいものを食べられます。
料理も自分で覚えればいいです。何も凝った料理じゃなくても、味付けの順番とか、食材に熱を入れていく順番とか、包丁の使い方とか、基本的な技術を覚えればそうそう不味いものはできないのではないでしょうか。
そうやって覚えた技術は誰も盗めない自分だけのものです。
こういう技術を沢山身につけておけば、本当に食えなくなってもなんとかなると思うのです。
住むところは、地方のほどほどの街と田舎の境目くらいのところの古家がおすすめです。こういう場所なら、地域のコミュニティも田舎ほどどっぷり浸からなくてもいいし、コミュニティに属していけば、畑なども借りやすくなります。
そこでその家を安く買ってもいいし、借りてもいい。可能であれば大工仕事をしてもいいという許可も貰えれば言うことなしです。
そうやって大工仕事を少しずつ覚えていけばいいです。
家を作るなんてとてもじゃないけど出来そうにないと思いがちですが、誰かが作っているものなのだから、作り方を学んで出来ることからやれば、きっと出来ると思います。
ポイントはいきなりすごいことをやろうとするんじゃなくって、これなら自分でも出来そうと思えることに、分解して始めることです。それを一つずつ解決していくうちに「無理」って思っていたことが、だんだんと自分に許可ができる様になっていきます。それを積み重ねていくと最初に無理と思っていた自分からは想像できないことができる様になるのではないでしょうか。
最初から全部完璧にやる必要はありません。課題を小さく分けて「これならできそう」と思えることから始めればいいのです。
「やることがない」なんてことは、あり得ない
「老後はのんびりと…」という考え方もありますが、今の生活でのんびりできない人が、将来突然のんびりできるわけがありません。これまでのように会社が作っていた自分の生活は、会社から外れた瞬間に自分で作っていかなくては行けなくなります。
自分で暮らしをつくることは、日々の生活に意味を与え楽しみをもたらしてくれるということです。
「やることがない」と感じる暇なんてないほど、やるべきこと、やりたいことが次々と出てきます。同じやるならばやりたいことに喜びを見出していく方が素敵じゃありませんか?その生活の中にのんびりは入っているというのが理想な気がします。
もちろん私も映画を観るのが好き、音楽を聴くのが好き、美味しいものを食べるのが好きです。でもそればかりじゃやはりつまらない気がします。
何かをつくり、自分の生活が良くなる。自分が何かをやったことで誰かが喜んでくれる。そういう変化や反応があるからこそ、自分の時間が充実してくるのではないかと思うのです。
自由でいるために、小さな生活を選ぶ
私はずっと「自由でいたい」と思っていました。
かつては「お金があれば自由になれる」と思っていましたが、今では「お金を持つこと」と「自由であること」は必ずしもイコールではないと感じています。
目的がなければ、実はそれほどお金はいらない事に気がつきました。
半農・半自給の暮らしで、シンプルに、自分の好きなことに時間を使い、自由に生きていく。
そんな暮らしが、今の私にとって「最高」なのだと思えるようになりました。
おわりに
限られた人生だからこそ、自分の手で生活をつくり、自分の成長を感じながら、1日でも長く幸せに生きる。
そのために、私は「小さな生活」を目指していきます。
派手じゃなくても、自分らしく、地に足のついた幸せを育てていく。
そういう暮らしを、これからも大切にしていきたいと思います。