人生は、まるでチョコレートの箱のように──お金と縁について考えた出来事

人生はチョコレートの箱。食べるまで中身はわからない

最近、少し不思議な出来事が立て続けに起きました。まるで、偶然が積み重なって、誰かが用意していたかのような一連の流れ。そんな体験が、自分にとって「お金」や「人との縁」について深く考えるきっかけになったんです。

ことの始まりは、水道の漏水でした。突然の出費は正直痛かったのですが、紹介していただいた水道工事業者の方が本当に素晴らしい方で、良心的な価格と的確な仕事ぶりに、気持ちよくお金を支払うことができました。

私は基本的に値切り交渉を好みません。相手が個人事業者なら基本値切りません。高いと思ったらいくつか質問をして腑に落ちなければ頼みません。相手は会社でサラリーマンの方だったら少しは値切る事もありますが、そのサービスや商品が必要なことだったらしつこく値切りません。
今回は説明も納得できたし、それまでの対応に信頼がおけると感じましたので全く迷いはありませんでした。

話は少し前後しますが、昨年の夏に10年以上前に契約を一方的に破棄された、元クライアントと偶然再開しました。その時は「久しぶりだね」なんて挨拶を交わしたくらいで別れました。その数ヶ月後突然連絡がり、なんでも新しく事業を始めるので、ウェブサイトを作ってほしいという依頼されました。まぁ、無碍に断るのも違う様な気がして、何度かやり取りを重ね、見積もりを出すことになったのがちょうど漏水のあった後だったんです。

10年以上前、些細なことで一方的に契約を破棄され、受けていた仕事が中途半端に終わってしまったこともあり、今回はその時の仕事をやり通すことと、声をかけてくれた感謝の気持ちも込めて、かなり価格を抑えた見積もりを出したのですが、「高い」の一言で却下されました。これには少なからずショックを受けました。

正直、見積もりが断られたことよりも、「仕事」と「お金」に対する考えが自分と違うこと。それが水道工事屋さんとの関係と重ね合わせて、なんだかすっきりせずにモヤモヤしていました。
私は仕事をすること、それに対する対価を支払うことというのは、相手の仕事に対する評価や信頼を評価しているものだと考えているので、値段だけで判断される人とは一緒にいい仕事はできないと考えています。
とはいえ、生活もありますから仕事を受けた以上はそれ以上のものを作ろうと努力はします。当たり前のことです。

しかし、モノやサービスを売る側とそれを買う方と立場を変えてみれば、もちろん安いに越したことはありませんが、本当にそれでいいのでしょうか?もし、関係が続くようなことならば、無理なことを言ってきた時に、値切られていたら気持ちよく次も仕事ができるでしょうか?
値切るって誰かの仕事を安く買い叩いていることになります。もし、逆の立場だったらどんな気分でしょうか?そう考えると安いものばかりを買うのってなんだか卑しい気がしてきます。

自分がされて嫌なことを人にはしておいて、自分はされるのは嫌だと思うのは身勝手です。

そうして考え続けた末に、やはり自分の考えは間違っていないと確信しました。

「簡単に“値切らない”方がいい」

もちろん、工事など予算があるのは当然ですし、価格の交渉があって然るべきです。でも、仕事をする人の立場に立てば、値段を下げるということは「できることを減らす」ことであり、その人の犠牲を払ってまでプライドを傷つけることではありません。

それに、値切られた側は、どうしてもモチベーションが下がってしまいます。「どうせ安く見積もられたし」と、どこかで気持ちが引いてしまう。仕事として手を抜くことはありませんが、見えないところで綺麗に仕上げなかったリト、心の中では熱量が変わってしってもおかしくはありません。

だからこそ、頼む側も、頼まれる側も、お互いに気持ちよく仕事をするために、“値切らない”という選択肢は案外大事なのではないか──そんなふうに思いました。もちろん商売で利益を多く取るための駆け引きとして、大きな金額を見積もりに書いているならば、他社と比較したりそれを交渉材料として話をすることは大切だと知っています。
しかし、一方的に金額だけをみて値切るのは違う様に感じました。

そんなモヤモヤの最中、再度その元クライアントのもとを訪れ、より簡略化した内容で見積もりを再提出しました。ですが、そこでも内容よりも「金額」だけで判断されてしまったようで、うまく話が噛み合わず、これはもう無理かな…と諦めかけていたんです。

ところが、その場に同席していた、現在では代表取締役の方が、見積もりの内容をしっかり理解し、依頼者に説明してくれたことで、状況が一変。最終的に、仕事を受けることにしました。

実はその方も、十数年前にトラブルのきっかけになった人物の一人でした。当時は入社したばかりでそれほどコミュニケーションをとった事もなく、私たちの仕事を理解していなかったと思うのですが、同様に価格のことを言われたのを覚えています。それから時が流れ、私が想像だにできない経験を積まれ、今ではその方が代表となり、理解していただいたのだと思います。

その帰りの車の中で、ふと映画『フォレスト・ガンプ』の有名なセリフを思い出しました。

Life was like a box of chocolates. You never know what you’re gonna get.
人生はチョコレートの箱。食べるまで中身はわからない

本当にその通りだと思います。過去に関係がこじれた相手と、また一緒に仕事ができる日が来るなんて、誰が想像したでしょうか。

そして思いました。未来のことを心配するよりも、今できることに一生懸命取り組むことが、きっと良い未来をつくるのだと

人生は思い通りにならないことだらけ。でも、誰かのせいにしても何も変わりません。今、できることがあればそれを一生懸命にやり続けていれば、何かが起こるかもしれません。

そんなのはまやかしだと思えばそこで終わりです。しかし行動を起こし続けていれば何かが変わるかもしれません。そう信じて今を大切にこれからも進んでいきたいと思います。

そして、私の経営の基礎を作ってくれた、勝手に人生の師匠としている成瀬博さんのことを思い出しました。

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この記事を書いた人

小さな生活をコンセプトにしているアラカンのおっさんです。
半自給自足を目指し仕事も趣味も楽しみながらつづく生活を送っている日々を綴っています。

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