高坂勝さんの『ダウン・シフターズ』を読んだ。まるで自分の考えがすべて言葉になったかのような本だった。
完全に衝撃を受けた。この本は、まさに僕が思っていたことを言語化している。 本当に驚いた。僕が思っていた違和感を、同じように感じている人たちは案外多いのかもしれない。
僕も以前から考えていた。「半自給自足の生活を目指して小さな生活を送る」ということ。そして、「自分が独立した形で仕事を作る」ということ。もしかすると、その答えに辿り着いたのかもしれない。今年1年かけて、自分だけで完結する仕事を作ってみよう。たとえその始まりが小さなものであっても、光を感じるところまではやってみたい。これを続けていけば、10年後には本当にやりたいことを仕事にできるかもしれない。
僕が独立した理由の一つに自分で自由に仕事を作りたいということは、こういうことなのかもしれない。何も世の中をあっと驚かせるようなことではない。小さなことでもいい。まずは自分の「なりわい」を作ること。それが出発点なんだと思う。そこから自分が感じ、変化していくことで、本当の自分と向き合えるのだと思う。
ずっと思っていた。待つのではなく、自分から売上を作れる仕事をしたいと。閑散期になっても、売れる商品(サービス)を作ってそれを売り込めば、いつだって売上は作れるということを。持っているけれどやらなくて0円なのと、持っていなくて売上が0円なのとでは、まったく意味が違う。
最近思うことがある。世の中が「お金」の価値だけで動いてしまい、物の価値が軽視される。仕事そのものの価値よりも、お金の価値が優先される。それはおかしい。資本主義はすでに限界に達しているのに、みんなはまだお金を求め続けている。資本主義は、永遠に消費が拡大し続けなければ成立しない仕組みだ。しかし現実には、人口は減少し、労働者の年齢層も高くなり、消費は縮小していく。一方で、市場にあるお金は高齢者のタンス預金として滞り、企業は内部留保を増やすばかりで、資本が流れない。
そんな構造の中で、みんなが必死に残業し、精神を病みながら働く。どこかで体や心を壊してしまうんじゃないかと思う。大金がなくても、小さな生活を営み、必要なお金を小さく回せれば、生きていくことはできる。ストレスを減らし、自分に合ったやり方で生きる方が、ずっと幸せだ。
みんなが大きな家に住み、高級車に乗り、贅沢をすることを望んでいるわけではない。自分が心地よいと思うことを続ける方が、ずっと意味がある。
この本には、そんな考え方が書かれていた。そして、自分の「なりわい」を作ることが大切だと説いていた。僕にとって、それは農業かもしれない。10年間やってきて、お米以外の作物はかなり作れるようになった。これからも続けていきたい。ただ、まだ作物を作る以外で「なりわい」としての確立ができていない。今年は、自分で作り、お金にできる「なりわい」を一つ形にする。それを基盤にして、来年以降もできることを増やしながら、小さな生活を続けていきたい。生き抜く力をつけて、しなやかに生きていきたい。
そして、最も大切なのは「生活を続けていく」ということ。肩の力を抜いて、無理せず楽しみながら続けていくのがいい。頑張りすぎると長続きしないし、自分が本当に好きなことを、気負わずに続けていくのが、一番心地いい生き方なのかもしれない。
久しぶりに、心に響く本と出会えた。本を読む時間はやっぱりいいものだなと、改めて感じた。何気ない言葉の中に、大切な気づきがあるものだ。