私は今の社会で感じる 、「何かあったらどうする」という考えに違和感を覚えています。何かを変えようとするとすぐに「何かあったらどうするんだ!」「責任は誰が取るんだ!」という言葉が目に止まります。
もちろん人命に関わることはあってはならないので、その危険性をできるだけ排除すべく準備することは大切です。人命にかかわらなくとも、人権や財産など個人に関わることは誰からも奪われないよう配慮する必要はあります。
しかしそれを繰り返していくうちに、重箱の隅を突くようなことに終始して、「何かがあったらどうするんだ」という人の言葉に翻弄されていては、大きな判断はできないと思うのです。
現代社会はものすごいスピードで時代が変わっていっています。そういう時に必要なのはその場その場の判断と行動力です。あまりにも完全を求めすぎて変化するスピードに取り残される方がよっぽど危険です。
第一、「何かあったらどうするんだ!」と言っている人は、「じゃあ、あんただったらどうするんだ」という問いに対して、その答えは持っていないのでは無いでしょうか。それって実に無責任です。
時代の潮流が早くどっちにいったらいいか分からない時、自ら変化しつつ「エイヤ!」って飛び乗って行くくらいの勇気とスピード感が求められているのが今の世の中です。
つい最近日経平均で過去最高値を記録したかと思うと、過去最大の下落幅を記録したかと思えば、過去最大の上げ幅と乱高下しています。誰が1年前にこのようなことが起こると予測できたでしょうか。
国策としてNISAが勧められ、日経平均の上昇や米国のS&Pの好景気によって、預金の大半をNISAに預けていた人たちは、青い顔になっていると思われます。しかし株式投資は自己責任によって行われるものです。価格が下落したからといって、国や証券会社に「下落した責任を取れ!」というのはお門違いです。
マイナンバーカードも同様で、個人情報が漏れたらどうするんだ!という意見があって、中々マイナンバーカードを基本とした国民管理が進みません。しかし漏れたところでどうというのでしょうか?それよりも行政のマンパワーによる社会保障はもう限界に来ています。少ないリソースで社会保障が運営・管理できた方が良いのではないでしょうか。
あまりにも悪いところにばかり目をやって完璧を求めすぎ、挙げ句の果てに何もしない。もしくは行うタイミングを逃してしまうより、社会組織が流動的に変化に対応できる方が、これからの国際社会において国力を維持向上するのに意味があると常々考えています。