近頃やっていることがバラバラでモヤモヤします。
このままこんなことやってていいのだろうか?と無性に焦ります。やっていることがバラバラで繋がっていない感じがして、全てのことが積み重なっていないそんな印象です。
大体僕は何がやりたかったんだっけ?と思い、一度立ち止まって考えてみることにしました。
各世代でその時になりたかったこと
僕がこれまでやりたい(なりたい)と思ったこと全てを思い出してみると、
10代の頃はモーターサイクルのロードレースで速くなってWGPに出場し、世界中を転戦したいと思っていました。ギリギリの中で順位を競い合い、その結果を出すことにより企業スポンサーから対価を得ることと同時に、世界中を旅しながら人生を楽しむ。そんな生活に漠然と憧れを抱いていました。
20代の頃は10代で思った夢に挫折こともあり、真逆の安定した職業に就いたものの、あまりにも恵まれていて「このままでいいのか?」って逆に焦っていました(なんて贅沢な)。このままじゃいけない。このまま人生を終わってしまいたくない。その頃から経営者になりたいと思っていたように思います。なぜ?経営者になりたいと思ったのだろう?
おそらくだけれど、元来人に言われてやることが大嫌いな性格の私。なので自分で考えて動ける経営者に憧れていたように思います。実際に自分で全て決めるとなるとそれはそれで大変なのだが(やってみて初めて分かった)、何事もやってみないとわからないのです。その時は漠然と経営者に憧れていました。
30代の頃はさらに憧れが増していて、いつかは独立して、はてなやほぼ日のような自由な気風の会社を作りたいと思っていました。またジャパネットのような新しいサービスを作ってみたいとも思っていました。
当時いた職場は閉塞感に満ちていて、ずっとそこで働くイメージが持てませんでした。毎日逃げ出したい気持ちで嫌々、職場に行っていたのを思い出します。
その後37歳の時にあることがきっかけで「エイヤ!」で独立することを決めました。この時焦っていたかもしれません。ただ、そのとき思い切らなかったら独立は無理だったでしょう。
目標であった独立が叶ったと同時に、そのあとどうしたいという本当の目的を持たなかったため、その後苦労することになるのですが、結果としてその時のエイヤ!がなかったら、ダラダラと文句を言い続け太った中年を過ごしていたと思います(きっとそうなったと思う)。
そして43歳の時に東日本大震災が起き、原発の爆発やその影響の余波などを得て強烈に思ったことあります。
それは、
これからは「生き抜く力が何よりも大切」
お金や学歴などは非常時には価値を持たない。非常時に必要なのは生きるための知恵や行動力ことが大切になってくる。食べ物をお店で買うことが出来ないのなら山や海で自分で見つけてくる。最低限の調理方法を身につける。価値を作り物々交換で作れないものを手に入れる。等々。
これまでコンプレックスだった学歴や財産の無さに対して、自分が生きていく目標が持てたような気分になりました。そしてそれらの力を身につけるために何ができるか考えた時に、「自分で食べ物を作れるようになりたい」と漠然とそう思うようになりました。
40代半ばで田舎に引越しをしたのを機に生活環境を変え、庭で興味本位で野菜を作ったみたらハマってしまい、もう10年くらい続けています。
野菜を育てて成長を邪魔しないよう手助けしながら見守る。収穫した野菜を家族や友人たちが美味しそうに食べてくれることが、こんなにも喜びに繋がるとは思いませんでした。若い頃の僕からすると想像できない姿です。
サラリーマンの頃に比べれば経済的には苦労しましたが、今の方がずっと楽しく仕事と向き合っています。独立は本当に苦労の連続ですが、その分自分ごととしてどんなことも責任がありますし、それが自分には合っていたのだと思います。
思った通りにはいかないけどそれもいい
10代の頃の夢見た夢は木っ端微塵に吹き飛んじゃったけど、本当にやりたかったことをシンプルに考え直すと、世界に出てみたかったのだと思います。それはバイクレースじゃなくてもできることです。それに気がついてから、今やっている食物の世界を通じて世界と通じることを考えるようになりました。
行き詰まった時に、別の方法を模索すれば必ず突破口は見つかるはずです。そういう柔軟さに欠けていたこれまでの人生でした。
WGPを転戦する夢が絶たれ、20代のその後はやりたい事が見つかりませんでした。その頃経営者に憧れて独立すれば自分の本当にやりたいことが見つかるのでは?と考え手段が目的になってしまいました。
30代はPCのことを知ることが楽しくって、パソコンやインターネットに脚光が浴びせられていた頃でもあったので、自分もあんな世界で働いてみたいと思っていました。そして「僕もあんな会社を作ってみたい」と思いが変わりどうやってという手段が欠けていました。
目的と手段を履き違え勢いだけで独立した後、どうやって食べていくのか分からないまま、運よくこれまで生き延びて来て、本当に感謝しかありません。
そんな明確な目的もプランも持たないまま過ごしていた中起きた東日本大地震のことは今でも忘れられません。「これから日本は大変なことになる」とそう思いました。被災された方々の事もあるが、何より自分に生き抜く力をもっと付けなきゃってそう感じました。
漠然と生き抜く力って言われてもなんだかよく分からないけれど、とにかく何があっても生き抜きさえすれば道はあるのだから、その力こそがこれからの時代に必要なんだと確信した。
そして思ったのは「食べる」だった。どんな人だって食べなきゃ生きられない。そして命を繋ぐ栄養だけじゃなく、温かな食事や一緒に食べる家族や仲間。そういう関係や空間が生き抜く為には一番の力になると確信しました。
それでまずは食物を作れるようになろう!と考え、庭で野菜を作り始めました。そして今年ではや10年が経とうとしています。製品のように綺麗ではありませんが、色々と作れるようになりました。
今はこの野菜を使って加工品を作ってみようと考えています。
幸い昨年加工場を作れる算段がつきもうすぐ完成する予定です。ここから実際にどのくらい需要があるか試してみようと考えています。いきなり世界とかいうと何をしていいのか分からなくなってしまうので、最初は小さな販売目標を立てて、そこからの挑戦です。
これまでいろんなことをやってきましたが、今一度これまでやってきた「点」と「点」をつなぎ合わせ、社会のためになるサービスを起こさねばと考えています。
やはり頭の中だけではイメージがつきにくい。誰かに話せばずっとイメージがつきやすい。そしてそれを言葉にしてみるともっと形になりやすくなります。困難もたくさんあるでしょうが、大きく恐れずに一つずつ解決しながらこれからの10年を意味あるものにしていきたいと決意を新たにしています。