人生を有意義に過ごすために本当に重要な目標設定

登りたい山を決めろ

目標設定ってすごく大切です。これが適切だと計画も作れるし、進捗も図れます。目標の解像度が高ければ高いほど実現する確率はぐっと上がってきます。

しかし中々これが今の目標だというものはないのも現実です。ソフトバンクの孫正義氏はこう言いました。

しかしこれが中々難しい。確かに孫さんがいうことは間違っていないです。でもさ、そうだとして、じゃ何が自分にとっての登るべき山なのか?を考えて見たけどよくわからない。何となくはあるんだけど、言葉にしてみて見るとどうもしっくり来ない。そもそも自分に出来るのかわからない。自信がない。だから決め切れなくなって一歩が踏み出せないでいる。

若い頃ならいいけれど、私の人生の時間は残り少なくなってきました。体も衰え始め以前より元気じゃなくなった。しかし、このまま終わりたくはない自分がいます。だって何かしたくて独立したのに、まだ何にも残せていないから。
まだ出来ると信じています。例え思ったところに到達しなくても、近づくために毎日を懸命に過ごしたい。

私にとっての「登りたい山」とは一体何だろう?新しい仕事を作ってみんなに喜んでもらうこと?新しい仕事って何?自分ができることで作れる新しい仕事って何だろう?
野菜を作ってそれを材料にお惣菜を作って販売することだろうか?その先のゴールは何だろう?で、結局結論が出ないまま普段の生活を繰り返す毎日になってしまう。

いつまでという期限は大切。しかし考えがまとまらないうちに無理やり決めても意味がない。まずは何をやりたいのかを言語化しながら行動し続ける。うまく行ってもうまく行かなくてもどうでもいい。あれこれやってまとまりがなくても関係ない。行動しながらやりたいことを言葉にしていくことが最も大切なんだ。このステップ以外は全部意味がない。本当に自分がこれやりたい事っていうもの=登りたい山を見つけて、それに向かって行動し続けるしかない。全力で仕事に邁進できる時間は10年くらいしかないかもしれないが、そんなの関係ない。人は人。自分は自分なんだ。

まずは自分のことを知ることから始めよう。自分という人間はいつ生まれて、どんな家庭で育って、小さい頃何になりたかったのか?勉強は出来た?スポーツは出来た?クラスの中でどんな存在だった?小中高とそれぞれの時代で好きだったことは何?その時何に憧れて何になりたかっただろうか?何で苦労した?それに対して今はどう思っている?これくらいから始めてみよう。

いつ生まれてどんな家庭で育った?
高度成長期の終わりくらいに生まれた。両親は家電販売業を営んでいる家族で育った。

小さい頃何になりたかった?
小学校低学年:電車の運転手
小学校高学年:動物園の飼育係
中学校:バイクのエンジニア
高校:WGPを転戦するGPライダー
大学:一瞬料理人だったが厨房で料理を揃えて出すことができずに諦めた。それで元々なりたかったライダーの道へ。

勉強は中の上くらい。いつも試験前に一夜漬けで誤魔化すような勉強しかして来なかった。当時は勉強が面白いなんて少しも思わなかった。小学校の時から得意だったのは国語だった。読んでいると何となく何が書いてあるのかがわかった。でも暗記するのは大嫌いだった。
中学になるとより勉強が嫌いになった。特に理数系の勉強が大嫌いだった。なんのことを言っているのか分からないし、教えてくれる人も誰もいなかった。
高校に上がると英語も嫌いになった。大学も早く働きたかったので行くつもりはなかったが、母親のたっての願いで地元のFラン大学に入学。この時の入試試験も感想文みたいな文章を書いただけだった。

スポーツは得意じゃなかった。足も遅かったし泳ぎもダメだった。唯一サッカーで知り合いのにいちゃんと1対1のディフェンスでボールを取ったことで自信を持ってサッカーを始めたが、大して上手にもならずレギュラーにもなれなかった。高校の時、経験者が少なくレギュラーになったが、ボールを持った時にどうしたいというイメージが持てず、サッカーは向いていないと思った。

クラスの中での存在は?
小学校:ほどほどのポジションという感じ。まあまあ目立っていたかもしれない。いつも人気者がいて多分羨ましがっていたような気がする。
中学校:途中までは小学校と同じ感じだったが、お調子者の性格が災いし相手が傷つくことをグサッと言って笑いを取るようなことをやっていた。ある日急にいじめの対象にされ3年生の時はずっとイジメにあった。早くここから出たいと思っていた。
高校:知っている奴がほとんどいなかったので、考えを改め人と話すことを控えるようになった気がする。それでもいじめのない毎日は楽しく、厳しい学校だったが楽しい3年間を過ごすことができた。自分で何とかしなきゃと思い、部活の後輩を「気合い」と言って殴ったりしていた。今考えると恐ろしいことをやっていたものだ。皆に会えるなら心から陳謝したい。

何に苦労した?
お店がうまく行っていない時のお金に関することで始まる両親の夫婦喧嘩。一番ひどかった時は家に帰りたくなかった。商売なんて絶対にしないと思っていたし、好きなことをした後は安定した大きな会社に入るつもりだった。いとこの家がサラリーマン家庭であまりに我が家と違っていて、いつも羨ましく思っていた。

それが今では同じ自営業の道を歩み、月末には支払いで苦労しているのだから笑ってしまう。大学卒業後、好きなことをやって地元に戻り紆余曲折の後郵便局に入った。安定した生活だったが、どこまで行ってもここまでと先がみえる人生が嫌で、保険の仕事に移動したが、どうしても騙して契約を取っているイメージが払拭できず、転勤して元の配達の仕事に戻ったが、人間関係や仕事の進め方に嫌気がさして退職した。

今思えば、退職したときに時間をかけて、どの山に登るのか決めるべきだったのに、独立するという山を設定してしまったがために、退職して目標を達成してしまったため、次の山を決められずになんとなく今までやってきた感じがある。やっとこの頃、登る山を決めなくては、これからの10年が無駄になってしまうという焦りから、これまでやってきた点をつなぎ、形にしたいと思うようになった。

さぁどの山を登るのか決めろと言われても、一度もきちんと考えたことがなかったので簡単には決められないけれど、食べること。野菜を作ること。料理をすること。食べた人が喜んでくれることに喜びを感じるのでこの辺りに自分ののぼりたい山があるような気がする。

これまでだって登りたいとは思っていないけれど、振り返れば登ってきた山は見える。その経験は決して無駄にはならないはずだ。

孫さんがいうように登りたい山を決めろという登りたい山は一つじゃないといけないのだろうか?もし登り始めて「あれっ?違うかも」と気がついたとき、本当の山だったらそこから下山して登りたいやなの登山口まで移動して、また次の登りたい山を登らないといけないが、人生の登りたい山は気がついたときから降りなくても、そこから別の頂上へ登れるような気がする。

今風で言えばタイパは悪いのだけど、紆余曲折というのはあっていいと思う。そんなに順風満帆に人生が送れるわけがない。あちこち寄り道しながら後で、あの時やった経験が今のこれに繋がっているのかもというものがあっていい。

そう思えば、登りたい山を決めることにそれほど慎重にならずともいいかもしれない。とりあえず登りたい山を決めて一歩を踏み出せば、それが次の二歩へつながり、違和感を感じれば修正すればいいだけのことだ。

部屋であれこれ考えながら、中々一歩を踏み出せないよりずっと目標へ近づいている気がする。登りたい最初の山はとりあえず進みたい方向性であっていい。どうせ最初からいきなり山へ登るわけじゃない。登山口まではそっちの方向へ進んでいるだけだから。最終的に登りたい山の登山口に辿り着けばいいし、それが目標じゃない。そこからしっかり登って頂上を目指すのが目標だから、そのことを見失ってはいけないよ。

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この記事を書いた人

パソコンとネットの何でも屋さん兼農家見習い中
2021年に奥さんに腎移植して人生の価値観が大きく変わりました
何が起きても諦めずに生き抜く力が一番大切
時々ブログも書いてます

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