先日の転倒から中々膝の腫れが引かず、水を抜いてMRIを撮ったところ診断は、左内側の半月板損傷とわかりました。今のところウォーキングくらいの運動は差し支えないので、続けていますがジョギングとなると痛みが出るので走ることはできません。
怪我をした時、1ヶ月もすれば腫れも引いてまた走れるようになるだろうから、また出たい時に大会に出られるといいな。しかしもうロングレースは無理して出なくてもいいから、好きな時に好きな場所の大会に出られたらいいな。それより毎日好きなポッドキャストを聴きながら走るジョギングが続けられればいいやくらいに思っていました。
それがまさかの結果になろうとは。
でも走れないだけで日常生活は問題なくできているので、それほど深刻になっているわけでもなく、これまで通りの生活ができなくなったことは残念なんだけど、何か別のスポーツや楽しさを探せばいいし落ち込んではいません。むしろ神様が与えてくれた時間なんじゃないかなと思っています。
今はこれまでと違った時間を過ごし、やれていなかったことと向き合い、新しい自分の世界を開いて行っているようなそんな気分です。
これは半強制的にこれまでやって来たことを手放せるかどうか試されているのかな?とさえ思えます。
やり始めたら最後までやり続けろ!絶対に諦めるな!と言い聞かされて育ちました。そういう時代に生まれて育って来ました。私の中の基準がそういうもので出来上がっています。
しかし最近はもう少しアップデートしてきて、執着するな!無駄なものはさっさと捨てろ!勿体無いは無駄なことだぞ!と考えが変化して来ました。
もちろん「これ!」と決めたらやり続けることは正しいと信じています。しかし何でもかんでももったいないから手放さなかったら、どれも成し遂げられないじゃないかということに気がついたのです。
私という人間がこの世に生まれて来た意味はあるかも知れないし、ないかも知れません。しかし意味を考えることなどそれこそ無意味なのではないかと。私がまず幸せでいれば周りにいる人達にとっても良い影響を与えることができます。そういう意味で自分が好きなことをやって生きていこうと思うようになりました。
ちっとも面白くないことを我慢してやって、家族のためになんて言いながら自分が幸せになる努力もせずに文句ばっかり言っていても、家族はちっとも楽しくはありません。そりゃあお金はあった方がいいに決まっていますが、今は我慢してお金を優先するステージじゃないと思うのです。
半世紀以上生きてきて思うのは、「人生は何があるかわからない」ということです。今良いからと言って将来もいいとは限らないし、逆も然りです。ただ将来を明るく見つめるのと暗く思うのでは、知らず知らずに向かっている方向が変わってくるとわかりました。
ですので、今は走れなくなりましたが、やはりこれまでのやり方は捨てて新しいところへいく時期がもう直ぐ近づいているのだなと良い方向に気持ちを持つようにしています。