以前、「過去と他人は変えられないが、自分と未来は変えられる」というテーマについて書きました。

あの言葉を書いたとき、正直なところ自分自身に言い聞かせていた部分がありました。独立してから、うまくいかないことや、理不尽だと感じることが何度もありました。そのたびに「なぜこんなことが起きるんだろう」と考え込んでしまう。頭ではわかっていても、気持ちがついてこない。そんな日々の中で、ふとあの言葉が頭に残り続けていたんです。
もう少し深く調べてみると、「美意の案配(びいのあんばい)」という話に行き当たりました。
ある国の王様が、信頼している家来と一緒に虎狩りに行きました。
山深く奥へと行くと、死んでいる虎を発見します。ところがその虎は死んではなく、寝ているだけでした。油断して近づいた時に、王様は虎から小指をかじられてしまいました。王様が怒って、家来に『お前がいて、どうしてこんなことが起こるんだ』って言うと、
家来は『それは”美意の按配”です。全ては決まっているのです。今は不幸に思われるかもしれませんが、これがあるからこそ、後に役に立つことがあります』と答えました。
しかし王様は激怒して家来を牢に入れてしまいました。怪我も癒え元気になった王様は、また虎狩りに今度は一人で行ってしまいます。
しかし今度は原住民に捕まってしまい、神への生贄にされることになりました。
王様は体をきれいに洗われ、まさに生贄にされようとした時、小指が欠けてることが分かり不浄だということで解き放たれました。帰国して牢屋に入っている家来に、『これが美意の按配ということか?』と尋ねると、家来は『そうです、王様。これが美意の按配ということです。あなたが私と一緒に狩りに行っていたら、私は生贄にされたことでしょう。王様はあの時虎に指をかじられ私を投獄したからこそ、王様も私も今生きています。』と答えました。
この話を読んだとき、正直「ああ、そういうことか」と腑に落ちる感覚がありました。
思い返せば、サラリーマンを辞めて独立したことも、周りからは「無謀だ」「大丈夫か」と心配されることばかりでした。自分でも不安になる夜は何度もありました。でも今、あのときの苦労や失敗があったからこそ得られたものが、確かにあると感じています。あの経験がなければ、今の自分はいなかった。そう思えるようになってきました。
もしすべての出来事に意味があり、どんな経験もいつか先で役に立つのだとしたら——何が起きても悲観せず、前を向いて生きていけるような気がしてきます。
今、悪いことが起きているとしても、それが永遠に続くわけではない。今この瞬間だけで、すべてを判断することはできないんです。どれだけ辛く嫌なことがあっても、それを受け入れて正直に生きていれば、その経験がいつか誰かの力になる日が来るかもしれない。
そう思えたら、くよくよするより今を精一杯生きたほうがいい。
うまくいかない日が続いても、あの王様の小指の話を思い出すようにしています。これもきっと、美意の案配なんだと。
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