今読んでいる本の中で、
村や町、市や県を衰退を人間の体に例えている考えがあって、
ものすごく腑に落ちてこういう考え方ってしたことなかったし、
面白いなぁ~と思ったんです。
例えられるものは人間の体を国。
頭や手などのパーツが県。
県を構成している中にあるものが、市や村など、
血液は貨幣、滞った部分を治すリハビリ運動は交流と例えられていました。
村が限界集落になったからといって、
必要ないものとして切除するかといったら
人間の体に例えて、
動かなくなりそうなやせ細った手や腕を切ったりはしないという。
交流や貨幣が滞ると、途端市や村は痩せたり、
動きが悪くなったりします。
それぞれの存在は何かがなくなっても構成できないから、
やっぱり切り捨てたりはできないですよね。
その存在の関係もどっちが上とか下とかも関係ないんですよね。
だってなくなったら代わりになるものがないから、
大事にしますよね。
そういう互いの存在を無くてはならないものとして、
感じられるとよいなぁと思ったんです。
関係を考えるとついつい借りとか貸しとか、
好きとか嫌いとか偉いとかそうじゃないとか思いがちですが、
そんなことがあったりなかったり。
できるだけね、ヒラタ~い感じで誰とでも交われるといいなと思っています。
そう思えただけ良かったよかったです。