若い人達と風呂にはいるマナーについて話をしていて、
「かかり湯」について話していると知らない人がいました。
生まれてこのかた銭湯に入ったことのない人もいてちょっと驚きでした。
(スーパー銭湯じゃなくってね。)
そりゃ、生活において銭湯なんてあえて行かなくっても、
風呂なんてどこでも入れる時代ですからねぇ~。
そりゃそれでいいんですけど、
思ったことがあります。
公衆の風呂があって比較的みんながそれを使うということになっていると、
ルールというかマナーというものができてきます。
それを守らなきゃ、
みんなが楽しめませんからね。
でも自分の家で自分流に風呂にはいるようになると、
家族のルールでよくなるわけです。
単身者だと自分だけでよくなる。
もう面倒くさい人なんて湯船に湯を溜めることなどせずに、
シャワーだけって人も多いでしょうしね。
そういう人に湯船に入る前には「かかり湯をしましょう」なんていっても、
わからないのは当然です。
外国人とおんなじ。
なんかね今日話しをしていて思ったんですが、
言葉だけ残っていて意味の分からない言葉って
もう随分自分の周りにあるんじゃないの?って。
言葉って生き物だと聞いたことがあるけれど本当にそう。
そのうち銭湯やら番台なんて言っても
通じなくなっちゃう日も来るのかな?
ちょっとさみしく思った出来事でした。