勉強法において差別化できるのは、道具とやり方です。
人間覚える能力とか意思の力にはそんなに大差がありません。
そこを勘違いして、努力論に走るから、なかなか続かないのです。
とあり、なかなか勇気付けられますが、
これは、だれにでも適用するのだろうか?
たとえば、うちのおやじなんかに会計の勉強をさせて
本人のモチベーションが保たれたとすると可能なのだろうか?
今まで自分の経験からいうと、
勉強をやめてしまったときって、
- 解決方法が分からなくて、誰にも教わる人(方法)がないとき。
- 単に飽きちゃうとき
- 目標を見失うとき。
- 本当に自分にできるのだろうかと思うとき。
- 日々の忙しさにかまけてしなくなるとき。
等々、やっぱりモチベーションと環境なのかな、と思ったりします。
忙しさに関しては、
どんなに短い時間でも
すぐに勉強できる体制は、大切だと思うし
その細切れの時間の積み重ねは、思っている以上に身についているようだ。
同じ時間を生きているわけだから、
自分の人生をもっと精一杯勉強したほうがいいよね。
勝間さんは、毎月15万円分の読書をしているそうだ。
そこだけとってみても、単純に負けるわなぁー。
まずは、phpの勉強を復活して
毎日短時間でも目を通すようにすることに決めた。